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出典検索?: "押尾コータロー"
押尾 コータロー
出生名押尾 光太郎
生誕 (1968-02-01) 1968年2月1日(56歳)
出身地 日本・大阪府吹田市
ジャンルインストゥルメンタル
職業ギタリスト
作曲家
担当楽器スティール弦アコースティックギター
活動期間1999年(平成11年) -
レーベルKotaro Records(1999年 - 2001年)
東芝EMI(2002年 - 2005年)
SME Records(2006年 - )
事務所コータロー音楽事務所
著名使用楽器
GREVEN D Herringbone
GREVEN J Herringbone
マイケル・ヘッジス
タック・アンドレス
トミー・エマニュエル
ドン・ロスなど
押尾コータロー
YouTube
チャンネル
押尾コータロー Official YouTube Channel
活動期間2012年 -
ジャンル音楽
登録者数約2.7万人
総再生回数約440万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年1月21日時点。
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押尾 コータロー(おしお コータロー、本名:押尾 光太郎(読み同じ)、1968年2月1日 - )は、日本のギタリスト。主にスティール弦アコースティックギターを演奏。所属レーベルはインディーズ、東芝EMIを経てSME Records。コータロー音楽事務所所属。大阪府吹田市出身。大阪を拠点とし、ソロ・ギタリストとしての全国ツアーなどライブを中心に活動。身長180cm。既婚。 オープン・チューニングやスラップ奏法、タッピング奏法を駆使したその演奏スタイルは、マイケル・ヘッジス、タック・アンドレスなど強烈な個性をもつアメリカのギタリストたちの影響を強く受けている。フィンガー・ピッキングというピックを使わず爪で演奏しているため、小指以外の爪をスカルプチュアで保護している。 ライブでは、堅苦しくなりがちなギターソロの演奏を楽しく聴かせるために、曲の合間にコミカルなMCで場をつなぐ・レパートリーにアニメソングやコマーシャルソングを盛り込むなどの工夫をしている。また「Dancin'コオロギ」を演奏しながらの「ひとりメンバー紹介」も恒例となっている。 中学校2年からギターを弾き始める。今も師と仰ぐ五つの赤い風船のギタリスト・中川イサトのギター教室でギター講習を受けていた。大阪府立北淀高等学校を卒業後[1]すぐに、音楽の専門学校に通うため東京へ移住。その傍ら、ギタリストの岡崎倫典のギター教室にも通い、そこで同じくギタリストの小松原俊からもレッスンを受ける。 帰阪後バンド活動を始めるが、当時の担当はギターではなくベースだった。押尾は「メンバー募集をした際にベースシストだけが決まらなかったため、仕方なく引き受けざるを得なかった」と後に語っている(現在ではベースを人前で披露する事は無いが、DVDで弾く姿を見る事が出来る)。バンド解散後は、ソロ・ギタリストとしての活動を開始。同時期には、スティールパン奏者の山村誠一と「VOICEQUN(ヴォイスクン)」というユニットを組んで活動もしていた。その後、FM802で放送されていた『HIRO T'S MORNING JAM』で、DJのヒロ寺平がオリジナル曲を紹介。これを機に、地元の関西を中心に注目されるようになった。インディーズから2枚のアルバムを発売した後、メジャー・デビューした。 2002年(平成14年) - 東芝EMIからアルバム『STARTING POINT』によりメジャー・デビュー。モントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival 2003年 - 大阪市咲くやこの花賞受賞。大晦日「第54回NHK紅白歌合戦」に島谷ひとみの「元気を出して」のバックで演奏。 2006年 - エスエムイーレコーズに移籍。 2007年 - プロ野球のオリックス・バファローズ対北海道日本ハムファイターズ戦において、国歌・君が代を演奏。 2013年 - 4月から2ヶ月間NHK教育『趣味Do楽』の月曜日で放送された「押尾コータローのギターを弾きまくロー!」に、講師として出演。 2014年 - 「高校時代からのファン」であるという劇団スーパー・エキセントリック・シアター所属の俳優・小倉久寛からの勧めで、8月6日から17日まで、シアターサンモールでの上演舞台「小倉久寛ひとり立ち公演Vol.5『のるかそるか?SINK or SWIM!?』」に、舞台俳優として出演。
演奏スタイル
略歴
メジャー・デビュー後