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抗火石(こうかせき、こうがせき)とは水孔石、剛化石、コーガ石とも呼ばれる流紋岩の一種。
軽石の一種である抗火石 はスポンジ状の構造を持つガラス質であり、鋸や斧で容易に切断できるもので、レンガ大の大きさから10cm×20cm×3cmの大きさに加工できるものを主に指す。
また、抗火石の名称を用いるものは伊豆諸島の新島、式根島、神津島、伊豆半島の天城山で産出されるものだけである。新島での推定埋蔵量は約10億トン。渋谷駅に設置されている「モヤイ像」は新島産の抗火石で作られている。 外見は灰白色で多孔質であり流理組織が著しい。また、新島産は石英の粒が付いており、天城産は玄武岩質のものが付着している。 抗火石の気孔は通常、5mmから0.5mmのものが多いが、中には数十cmに至るものも存在する。ただし、気孔が大きなものは製品としては使用し辛い。 抗火石はその軽量性、耐火性、断熱性、耐酸性から多くの用途に使用されている。建築用石材新島では普通に見られることができ、新島内の住宅ではいずれかの箇所に抗火石が使用されている。外装用タイル煙突の煙道内張り焼却炉用資材耐火モルタルの細骨材観賞用庭石 その特性を利用し、過去には抗火石で作られた船(石造船 明治時代は人力による露天掘りが行なわれており、新島、向山地区の向山では頂上より水平に掘り進んでいた事が推測されている。また、採掘が進むにつれて表土部が現れるようになるとその採掘箇所は放棄され、新たに採掘箇所を求めたために向山地区は過去の採掘箇所で覆われるようになった。そのため、近代の採掘は過去の採掘箇所よりもさらに2段、3段下った箇所で採掘作業を行なっている。 また、天城山でもほぼ同様の作業が行なわれているが、良質な抗火石が少ないためか2段、3段と下がった箇所で採掘するのではなく、別の箇所へ移動している。 日本における 抗火石は明治時代には新島においてすでに自家用として採掘が行なわれていた。その後、1924年(大正13年)ごろより工業用としての採掘が開始され肥料を製造するための窯などに使用されていたとされる。 第二次世界大戦中は採掘が中断したが、その後は建築材料としての使用が増加している。初期においては式根島、神津島、新島、天城山などで採掘されていたが現在は新島、天城山で採掘されるのみで、日本以外ではイタリアのリーパリ島のみが採掘地である。
特徴
用途
採掘
歴史リーパリ島の鉱山
関連項目
岩石 - 火成岩 - 火山岩 - 流紋岩
新島村
参考文献
岡野武雄 (1965-06-). “軽量骨材資源 抗火石”. 地質調査総合センター. 2010年1月7日閲覧。