投機(とうき)とは、不確実だが当たれば利益の大きい事をねらってする行為。例としてある「資産」の価格の動きを予測し、上がるか下がるかに賭けた売買を行うゼロサムゲームがある。得した金額分だけ、必ず誰かが同額の損をしている仕組みになっている。付加価値を生み出す資産の動きを予想し、プラスサム・ゲームである投資とは異なるとされている[1][2]。マネーゲーム(money game)の一種[3][4]とも言われ、ギャンブルに含まれる場合がある[5]。 商取引可能な物であれば、全て投機の対象となる可能性がある。特に株式、商品、不動産、通貨、債券、仮想通貨、高級車、貴金属、絵画、宝石、腕時計、アニメ・ゲームなどのトレーディングカード、などは、一定規模の市場(マーケット)があり、人々の間で広く投機の対象となることがある。 貨幣経済が発達する前には、穀物や貴金属が投機の対象となっていた。日本では長い間、米を経済の基本単位としたことから、流通量が少なく相場が上昇する飢饉の年には売り惜しみや買い占めを招き、主食たる米の小売価格が高騰するだけではなく、農家は自ら口にする米や種籾すら手元に残せず餓死するケースすらあった。 また江戸時代にすでに、豊作の年に空売りによる相場操縦で市況を悪化させ、これを理由に所払いになる商人なども現れた。 元禄10年(1697年)に大阪・堂島米会所が、その後全国各地に取引所が開設され、明治・大正期の米穀取引所に引き継がれて活発に取引がなされた。 大正7年(1918年)7月に日本の富山県で起きた「米騒動」の主因は売り惜しみによる流通の不足?米価の高騰だった。 第二次世界大戦中の日本では、食糧統制の観点から食管法により公定価格が定められると、投機の対象は他の商品に移り、米相場は消滅した。 変わったところでは、16世紀オランダのチューリップ、18世紀イギリスの南海泡沫事件、日本では明治時代の万年青、ウサギ(本来は食用だが投機の対象は観賞用に品種改良されたもの)、大正・昭和初期の小鳥といった生き物まで投機の対象になったことがある。 近年でもクワガタや東洋ラン、盆栽や奇石などが投機の対象とされることがある。絵画や芸術品、競走馬などは投機の対象として著名であり、対象とされる物は枚挙にいとまが無い。 2013年の中国では、樹齢100年以上の古樹(老木)から採取されたプーアル茶が投機の対象になり、価格が高騰した[6][7]。 一般には、「投機」と言う言葉は投資と対義語のように扱われ、否定的に語られる(たとえば債券関係の格付けで、元本が返済されないリスクが高い=金利の高いものを「投機的」レベルという[8])。 しかし投機は投資という行為の一形態であり[要出典]、両者を分けるのは主にその言語を使う者の主観によることが多い。たとえ「投機的」なものであっても、市場(マーケット)においては流動性を高める働きや、広義のリスクヘッジ
概要
一般の認識とは異なり、本来投機はリスクをより少なくする目的でおこなうものとされ[要出典]、価格が暴落しているときにあえて買い向かう、高騰しているときに売り向かう行動は、中長期での平均リターンを確保するためのリスクヘッジ(危機回避)である場合が多い(先物取引の項参照)[要出典]。
一方で短期的収益のみを視野において、目先の価格変動に運をまかせる側面もあり、とりわけポジション(投資額・価格帯)の取り方によってはギャンブル的でリスクを多くするだけであり、この場合ギャンブルと投機の境界は曖昧である。
投機は現物の商品・サービスの売買を対象におこなわれるが、将来の売買予約権(先物)を派生商品として取り扱う事も多く、先物取引は現物より「より投機的」であるとされる[要出典]。また他人から現金や商品・株券などを借り受けて売買する(信用取引)手法などがある。
エピソード
「投機」の由来は禅の仏教用語であり、師弟の2人が心機が投合することを言う。禅では、「機」とは「心のはたらき」を意味する。師匠と弟子は、自分の「機」を互いに相手の「機」に投じ合う。これが、心と心を伝え合うことの「意気投合」になった。人間の「心のはたらき」は、様々に変化していくので、その一瞬一瞬の「機」の動き・働きをパッととらえることが「投機」になった[9]。
古代ギリシアのタレースは、天文学の知識からオリーブの豊作を予測し圧搾機械を借り占め、収獲時期に貸し出すことで巨利を得た。これは「レンタル権」を対象としたデリバティブ(リアル・オプション)の最古の例のひとつとされる[10]。
金融商品取引法の定めに沿った適法なデリバティブ取引に賭博罪が適用されることはない。(刑法第35条「正当行為」)
脚注^ “投資と投機の違いとは?株式の取引はどちらなのか? 。フィナンシャルプランナーが伝授する株式投資(第11回)