抑圧された記憶
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抑圧された記憶(よくあつされたきおく、Repressed Memory)とは無意識下に封印された記憶、あるいはそのような記憶が存在するとする仮説のことを言う。回復した際の記憶のことを回復記憶(かいふくきおく、Recovered Memory)という。

精神医学の用語・仮説である。自分の記憶の一部があまりに辛いもので、今自分が健やかに生きてゆくのに極端に妨げとなる時(例えば、自己イメージや自分の心理的な存在基盤等を著しく損なう記憶など)、人によっては「反射的」あるいは「衝動的」とでも呼んでよいような方法でその記憶を抑圧することがあるとされる。ジークムント・フロイトが指摘して以来、長らく実際に人間が意図的に記憶を忘却することが可能であるかに関して議論が交わされてきたが、2011年にスウェーデンルンド大学の研究により脳波の測定によって人間が記憶を意図的に忘却する際の脳の活動メカニズムが判明したと発表された[1]。この研究によって、記憶を忘却する脳のメカニズムを利用して心的外傷後ストレス障害(PTSD)の対処が行われる可能性が示されたが、通常の記憶を利用した研究であるためトラウマ記憶に関しては忘却方法はさらに複雑になることが予想された[1]
目次

1 フロイトの説

1.1 フロイト説への評論


2 ロフタスなどによる批判

3 支持的な論

4 名称について

5 出典

6 関連書籍

7 関連項目

8 外部リンク

フロイトの説

オリジナルの「抑圧された記憶」の概念を提唱したのはジークムント・フロイトである。彼によるとこの記憶は性的虐待の記憶の耐えられない苦痛から発生し、その記憶は無意識の領域に封印され、それが意識に影響を与え続けるのだという。

フロイトは1896年に『ヒステリーの病因について』を発表し、ヒステリー患者の女性は幼児期の性的虐待: Trauma(トラウマ→心的外傷)となり精神疾患を引き起こすとする「誘惑理論」を公表した。彼は女性12人、男性6人の患者を診察し、一人の例外もなく幼児期に性的虐待を受けていた事実を突き止めていた。ところが、この1年後、前説が変わり、性的虐待の事実は無く幼児性欲による幻想であると唱えた。ただし、同時にそれらの外傷的な記憶は心の真実として意味を持つとしたため、決していい加減に扱っていいと唱えたのではない[2]

なお、転換後のフロイト自身の説は前期と後期とで大きく違っている。前期においてはLibido(リビドー)を一種の生命力と捉え、それを抑圧することが病理を引き起こすというものであった。この段階でフロイトは初めの「誘惑理論」の説を変化させ、「エディプスコンプレックス」の概念を提唱した。

フロイトは問題の説の転換のさらに後にその説を再び変化させ、内在化された社会的な禁令(タブー)に目を向けだす。1923年、フロイトは『自我とエス』を発表。深層心理の考えに基づいたそれまでの: Bewusstsein(「意識」)、: Vorbewusste(「前意識」)、: Das Unbewusste(「無意識」)から変化し、新たなる: Uber Ich(「超自我」)、: Ich(「自我」)、: Es(「エス」)の局所論的観点を唱える。

それによると、社会的禁令が内面化されたものが「超自我」と呼ばれるものであり、人間が欲動に駆られた際に、それと反発する超自我との葛藤が起こり、これにより精神が不安定になるのだという。つまり、リビドーの抑圧が精神の不安を引き起こすのではなく、精神の不安こそが抑圧を引き起こすと自らの説を訂正したのである。フロイトは元々抑圧の概念を防衛そのものとして扱っていたのだが、1926年にフロイトが発表した『制止、症状、不安』においては、もはや抑圧は数ある防衛機制のうちの一つに過ぎない存在として扱われている[3]

また、一方で彼は「対象リビドー」(性欲動)と「自我リビドー」(自己保存欲動、自我欲動)の当初の二元論を変化させ、: Lebenstrieb(生の欲動 アメリカでの訳エロス )と: Todestrieb(死の欲動 アメリカでの訳タナトス )という概念も提唱した。1920年フロイトは『快感原則の彼岸』を発表し、この新たなる二元論を表明した。この概念は後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)と呼ばれることになる外傷神経症の患者の悪夢の研究で考え出されたものであった。この新たな二元論は、生命は非生命から生まれたものであるため最終的には回帰点として死を本能的に欲求しているという考えから来た理論であり、戦争体験といった外傷性の悪夢にはタナトスの概念が働いていて、何度も何度も反復強迫的に過去の体験についての悪夢を見続けることは自身の目的として死を目指すその欲動が働いている結果なのだという[4]。フロイトは、『夢判断』の時点では夢は欲望を充足するものだという考えを表明していたが、外傷性の悪夢においては当てはまらないため、無意識が反復を求めているだけと解釈し、自らの「快感原則」及び「現実原則」の概念から逸脱したこの原則をバーバラ・ロウの概念を借用して涅槃原則(ニルヴァーナ原則)と呼んだ[5]
フロイト説への評論

エレン・バスの『The Courege to Heal』(1988年)やジュディス・ハーマンの『Trauma and Recovery』(1992年)など、フロイトが誘惑理論から退行したため心的外傷論も放棄したかのような誤解は多いが、実際はフロイトはその後も心的外傷論の立場は崩していない。『自我とエス』の方のテキストを重視したフロイトの娘であるアンナ・フロイトは、自我心理学を開き自我を強くする事こそが病理を直す助けになると唱えたが、自我心理学のやり方は間違っているとして「フロイトに帰れ」と唱えたジャック・ラカンは『快感原則の彼岸』の方のテキストを重視し[6]現実界・象徴界・想像界という三界が存在し、フロイトがエディプスコンプックスと呼んだものを言語機能におけるシニフィアンの法として読み替え、言語的領域に当たる象徴界が機能の破綻をきたし、死の欲動に当たる現実界が直接想像界に影響を及ぼすことで精神病状態が生み出されると考えた[7]


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