手塚勝巳
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手塚 勝巳基本情報
国籍
日本
生年月日 (1912-08-31) 1912年8月31日
没年月日没年不詳
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り1936年
初出場1936年
最終出場1937年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


早稲田実業学校

専修大学

大東京軍(1936年 - 1937年)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

手塚 勝巳(てづか かつみ[出典 1]、(1912年大正元年〉8月31日[3][4] - 没年不詳)は、日本の元俳優スーツアクター(縫いぐるみ俳優[2])。元プロ野球選手神奈川県横浜市出身[1]
来歴・人物

戦前にプロ野球選手(早実-専修大学を経て大東京軍[1][4]、ポジションは投手→外野手。通算5試合に代打出場し、5打数0安打)の経験がある。終戦後には新東宝を経て東宝に入社した[1][5]が、これにはマキノ雅弘による口利きがあったとされる[5]

入社後も俳優仲間の待遇面などでの折衝役を務めるなど親分肌で、東宝俳優部のいわゆる「大部屋俳優」たちのトップにいた人気者であった[1][5]。その影響力は一俳優の立場を超えたものであり、撮影所の所長も一目置いていたという[5]

元プロスポーツ選手としての体力を買われ、『ゴジラ』でゴジラ役に抜擢されたが[1][2]、着ぐるみを着てのテストの際に3メートルほど歩いたところでその重さ(150キログラム超)に耐えきれず、国会議事堂のセットにつまずいて倒れてしまったのに対し、自分より若い中島春雄が先に10メートルほど歩いていたため、これを見て円谷英二はメインを中島に交代させた[6]。手塚は中島の補助とされ、国会議事堂のシーンなどでゴジラ役を担当した。中島によれば、手塚は国会議事堂を破壊するシーンの撮影中に何かにつまずいて転倒し、「こんな出来損ないで演技が出来るか!」と怒鳴り散らした挙句、造形のアルバイトを突き飛ばしたという[5][7]

次作品『ゴジラの逆襲』では、ゴジラの敵怪獣のアンギラス役を演じた。ゴジラ役の中島は、大阪府中之島を舞台とした格闘シーンの撮影で着ぐるみに入った手塚の首根っこを捕まえた際、普段は大部屋で頭の上がらない親分格の手塚とあって、つい力が入ってしまったかもしれないと述懐している[8]

その後も中島の補助役として数々の怪獣役を演じており、『大怪獣バラン』でバラン役を演じた際にはプールでの撮影の際に照明の電源ボックスが水中に落ち、感電してしまったことがある[9]

1960年代半ば以降、出演作品は確認されていない。着ぐるみ俳優としては、『モスラ対ゴジラ』を最後に中島のサポートに徹していたとされる[5]
詳細情報
年度別打撃成績

















































O
P
S

1936大東京33300000000--0--0--02--.000.000.000.000
1937春22200000000--0--0--00--.000.000.000.000
通算:2年55500000000--0--0--02--.000.000.000.000

背番号

9 (1936年)

出演作
映画

太平洋の鷲1953年 本多猪四郎監督):航空参謀[10]

ゴジラシリーズ

ゴジラ1954年 本多猪四郎監督):ゴジラ[出典 2]、新聞社デスク[出典 3]

ゴジラの逆襲(1955年 小田基義監督):アンギラス[12][5]

キングコング対ゴジラ(1962年 本多猪四郎監督):ゴジラ[13][注釈 1]

モスラ対ゴジラ1964年 本多猪四郎監督):ゴジラ[14]

三大怪獣 地球最大の決戦(1964年 本多猪四郎監督):ゴジラ[15]


不滅の熱球1955年 鈴木英夫監督):審判員

夫婦善哉(1955年 豊田四郎監督)

囚人船(1956年 稲垣浩監督):操舵


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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