手塚しげお
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てづか しげお
手塚 しげお
本名手塚 茂夫
生年月日 (1942-01-27)
1942年1月27日
没年月日 (2004-02-04) 2004年2月4日(62歳没)
出生地 日本 山梨県
死没地 日本 大阪府高槻市
身長167 cm[1]
職業俳優歌手
ジャンル映画テレビドラマ
活動期間1958年 - 2004年
活動内容1958年:デビュー
1962年スリー・ファンキーズ
1963年:ソロデビュー
主な作品
テレビドラマ
『矢車剣之助』
忍者部隊月光
ワイルド7
ウルトラマンレオ』映画
怒りの孤島
『愛の鐘』
独立愚連隊
『あなたの命』
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手塚 しげお(てづか しげお、1942年1月27日[1][2][3] - 2004年2月4日[4])は、日本歌手俳優。本名および旧芸名、手塚 茂夫(読み同じ)[5]

山梨県出身[1][2][3]國學院高等学校卒業[2][3]。晩年は大阪に拠点を移し、同地の芸能プロであるMC企画に所属していた[1]
来歴・人物

高校に通いながら児童劇団こけし座に所属[2]ラジオドラマ『ママの日記』に出演中の1958年久松静児監督にスカウトされ、日映『怒りの孤島』において主演の七人の少年の一人として本名で映画デビュー[2]。次いで東宝系の映画に出演を始め、久松監督の『愛の鐘』の後、岡本喜八監督『ある日わたしは』で星由里子の弟、『独立愚連隊』に少年兵の役で出演[2]。翌1959年5月よりNTV系列にて放送された少年時代劇『矢車剣之助』では主役に抜擢されて人気を集めた[2]

1960年に高校を卒業し、1962年には名前を平仮名にしてアイドル・グループ「スリーファンキーズ」の一員となる[2]。テレビのショー番組などで活躍し、1963年にはシングル『若い湖』でソロデビューも果たした。グループの解散後は、1966年にソロ・シンガーとしてクラウンレコードに入社するが、ヒット曲に恵まれず、俳優として主にテレビドラマを中心に活動した[5]

テレビでは『ワイルド7』『太陽にほえろ!』『ウルトラマンレオ』などに出演し、中でも『太陽?』第111話での松田優作演じるジーパン刑事を射殺した犯人・会田役が知られている[6]。『レオ』で共演した藍とも子によれば、撮影の待ち時間に『太陽?』の出演シーンの再現ドラマを演じて現場を和ませてくれたと述懐している[6]。また『レオ』当時には川崎市で飲食店を経営しており、撮影が早く終わった時などに森次晃嗣ら共演者がよく訪れていたという[7]

俳優業の傍ら、ホテルの結婚式・宴会プロデューサーなどを務め、1989年からは大阪府・キタ新地でクラブ「LOFT7」のマスターを務めた[3]

特技は、殺陣歌唱ギター[1]。1970年に結婚し、二子あり[5]。妻は、スリーファンキーズのリーダーだった長沢純の会社「長沢企画」大阪オフィスの責任者を務めていた[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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