奇術 (きじゅつ)は、人間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用いてあたかも「実現不可能なこと」が起きているかのように見せかける芸能。通常、観客に見せることを前提としてそのための発展を遂げてきたものをいう。日本では、手品(てじな)などとも言い、古くは手妻(てづま)、品玉(しなだま)とも呼ばれた。マジック(英: magic)と言う場合もある。また、奇術を行う者を奇術師(きじゅつし)、手品師(てじなし)、またマジシャンとも呼ぶ。 マジックの語源は、香木を火に捧げる祭儀や夢占・占星術を司る古代ペルシアの祭司階級であるマゴスから派生したギリシア語「マゲイア」である。古代ギリシア・ローマ世界において、マゲイアという言葉は本来、マゴスの業や知識を指す語であるが、呪術、まじない、奇術、さらにはイカサマやペテンといった悪い意味でも使われるようになった。マジック(魔術)という語が呪術と奇術というふたつの意味を併せもつのは、彼らが行った各種の奇跡や魔術が現代的意味での奇術に相当することに由来するという説がある。 奇術の歴史は古く、演目の1つ「カップ・アンド・ボール en:Cups and balls 魔術と奇術は、ある意味では非常に近しい関係にある。英語のmagicがその両方を指すように、そもそも奇術は魔術を実現するために発展してきたとも考えられる。 奇術は古代、国家形成以前の時代から行われていたとされ、これは古代の集団においてそれを統率するリーダー的役割の人間は、不思議な力があることが大きな影響力を持っていた(日本では卑弥呼など)ことに由来する。リーダーは、民衆とは違ったことができるということをアピールすることで権力を得たともいわれるからである。このような奇術を「原始奇術」、「ビザー・マジック」とも言い、古代社会では大きな影響力を持つことに成功したと見られる。ヒエロニムス・ボス『手品師』(『いかさま師』とも。1475-1480年頃)。古典奇術「カップと玉」に目を奪われた客の財布を、左端の男が狙っている 中世から近世にかけて西ヨーロッパにおいても同様で、当時奇術は権力者にとっては自身の権力を大きく見せるための手段であり、同時に魔女狩りによって不都合な人物を消すための方便でもあった[5]。 こうした権力者の虚構を暴き、同時に魔女狩りから無実の人々を救うため[5]、1584年にイギリスの地方地主レジナルド・スコット 大道芸や食卓芸として発展してきた欧米では、魔女裁判以降に奇術は再興、各国の王家専属の宮廷奇術師らも登場した。18世紀後半にはマリア・テレジアのために手品装置としてチェスを指す人形「トルコ人」(実際には中に人が隠れて操作していた)が登場し、ステージマジック、イリュージョンのさきがけとなった[7]。1845年のロベール・ウーダンの登場から奇術は近代芸能へと変化を遂げる。それまでの「黒魔術的な怪しい衣装で暗い照明の下、不気味な演出で」行われていた奇術を、ウーダンは「燕尾服に明るい照明、スマートな演出」を行うことで完全なエンターテイメントへ変えた最初の人物である。このことから、ウーダンは「近代奇術の父」と呼ばれる。この時代の奇術師にはドコルタ
語源
奇術の歴史
古代から中世
近現代
19世紀後半から20世紀初頭まで、ボードヴィルやナイトクラブでのショー、ステージショーが全盛を極めた。当時はこういった分野が最も隆盛を極めた時代であり、1950年代に映画産業が発達するまでの代表的な演目だった。この時代まで、プロは相当数いたとされるが趣味としているのは一部の裕福な家庭の知識人だけであった。この時代に活躍したマジシャンとしては、ハリー・フーディーニやハワード・サーストン、ハリー・ケラーら。しかし、1800年代後半から多くの優れた奇術解説書が出版され、奇術は趣味として浸透し始める。多くはアマチュアの著作であることから「19世紀はプロの時代、20世紀はアマチュアの時代」と言われることがある(代表的なものはホフマン教授(プロフェッサー・ホフマン)著「モダン・マジック」など)。また「GENII」や「Magic」などといった奇術専門雑誌が発行されている。20世紀に入ってから、映画人気の影響や1929年の世界恐慌などによって、イリュージョンなどの大舞台の興行は大打撃を受け、次第に奇術師の活躍の場はナイトクラブなどに移行した[8][9]。舞台が人気を失う中で、ラジオ番組やテレビ番組などへの登場で活躍の場を見つけ出した奇術師もいた。
1930年代以降は、大舞台に代わって身近なものを使ってみせるクロースアップ・マジックがよく演じられるようになり、クロースアップ系の雑誌なども発行されるようになった[10]。ダイ・バーノンをはじめとしてクロースアップの分野で多大な功績を残すマジシャンが多く登場している。
現在では、奇術の演技形態だけでなく、タネに科学的なものも加わり進化は続いている。また身近で見せる奇術から大規模なイリュージョンまでさまざまな演技形態でプロが存在し、ショービジネス界で大成功を収めている奇術師も多く存在する(デビッド・カッパーフィールド、ランス・バートンなど)。
ギネス記録へ認定されるマジシャンとしては、デビッド・カッパーフィールドやジョナサン・ペンドラゴン、リッキー・ジェイ、山上兄弟が挙げられる。
「マジック界のオリンピック」とも形容されるFISM(Federation Internationale des Societes Magiques)やI.B.M.(International Brotherhood of Magicians)、SAM(Society of American Magicians)といった世界的規模の会が存在している。コンベンション(大会)と呼ばれる催し物を開催し、全世界に奇術愛好家のネットワークが存在。プロからアマチュアまで垣根のない交流が可能といえる。 日本における奇術の歴史は、奈良時代に唐より仏教とともに伝来した「散楽」が始まりとされ、狂言や能などと同じ源流を持っている。 大道芸として発展し、「放下」「呪術」「幻術」と呼ばれたが、戦国時代には芸として完成している。ただし、室町時代以降はキリシタン・バテレンの妖術と非難され、一時禁止された。陰陽師(安倍晴明など)の術も奇術の原理を使用していたとされる[11]。戦国時代の果心居士などが有名。葛飾北斎画『北斎漫画』より、江戸時代の座敷芸の幻術。ブラック・アートや幻灯機を用いたものなどと解釈されている。 江戸時代頃から手妻(てづま)、品玉と呼ばれ、柳川一蝶斎
日本における歴史