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手取温泉駅
復元駅名標
てどりおんせん
Tedorionsen
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所在地石川県白山市上野町座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度22分20.2秒 東経136度36分22.9秒 / 北緯36.372278度 東経136.606361度 / 36.372278; 136.606361
所属路線金名線
キロ程8.5 km(加賀一の宮起点)
野町から24.4 km
駅構造地上駅
ホーム1面1線
乗降人員
-統計年度-254人/日
-1984年-
開業年月日1926年(大正15年)2月1日
廃止年月日1987年(昭和62年)4月29日
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手取温泉駅(てどりおんせんえき)は、石川県石川郡鳥越村字上野(かみの、現在の白山市上野町)にかつてあった北陸鉄道金名線の駅である。
概要が望まれています。
設置当初は、上野駅(かみのえき)と称した。のちに手取温泉・手取遊園(後述)が付近に設置され、湯治客や親子連れで賑わった。洋館風の造りの駅舎を持っていた[1]。
乗降客数は1984年当時、金名線全駅の中で一番多く、一日平均254人[1]。 天正年間に鳥越城主が愛用した湯治場という伝説がある。1950年(昭和25年)に鳥越・河内・吉野谷の3村の有志が開発を始め、1953年に試掘。 泉質は含石膏芒硝泉。泉温は23.5度で加温を要する。 手取遊園の開園に伴い浴客が増加したため、1957年(昭和32年)に中宮温泉・岩間温泉と合わせて、『白山温泉郷』の一部として国民保養温泉地に指定する運動を起こし、1961年に厚生省の指定を受けた。 当時は村営の国民宿舎「手取温泉センター・城山閣」をはじめ3軒の旅館があった。
歴史
1926年(大正15年)2月1日:金名鉄道の駅、上野駅として開業。
1943年(昭和18年)10月13日:金名鉄道が合併されたことにより、北陸鉄道金名線の駅となる。
1953年(昭和28年):手取温泉開湯。
1955年(昭和30年)8月15日:手取遊園駅(てどりゆうえんえき)に改称[2]。
1955年(昭和30年)9月15日:手取遊園開園。
1965年(昭和40年、改称日不詳):手取温泉駅に改称[2]。
1970年(昭和45年)3月31日:手取遊園閉園。
1983年(昭和58年)10月31日:豪雨による大日川橋梁の橋脚周囲の岩盤崩壊により、大日川 - 白山下間が休止、それにより当駅も休止。
1984年(昭和59年)
3月11日:復旧により営業を再開。
12月12日:手取川橋梁が危険な状態となったことにより、加賀一の宮 - 白山下間の金名線全線が休止、それにより当駅も休止。
1987年(昭和62年)4月29日:金名線は営業再開することなく全線廃止、それにより廃駅。
近隣施設
手取温泉