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様々なタイプの扇風機
扇風機(煽風機、せんぷうき)とは、回転する羽根によって風を発生させて涼感を得る機器[1]。通常、扇風機という場合には、小型電動機の軸に羽根をつけ、その回転によって風を起こす装置をいい[2]、電気扇風機のことを指す。
なお、サーキュレーターとは目的や構造が異なる[3]。ただし、両者を一つの商品カテゴリーで扱う家電量販店やホームセンターもある[4]。「エアサーキュレーター」も参照 同じ気温下でも風が当たると、人体が発した熱が滞留しにくいうえ、汗の蒸発熱により体温を抑制し、涼しく感じる[5]。電気扇風機は、モーターに羽根(ファン、プロペラ)をつけ、そのモーターによってファンを回転させる送風機で風を作りだしている。 扇風機には、クーラーに比べて利点がいくつかある。電気料金が比べて安価である、窓を開放した状態で使用でき新鮮な外気を呼び込める、部屋に快適な風の通り道をつくり体感温度を下げることができる、エアコンに比べ設置の制約が少なく移動が簡便、初期投資も安い等々である。 また、クーラーの場合、足元ばかりが冷えてしまい、冷え性の人がひどく苦しんだり、部屋の内外での気温差が大きくなりすぎて、営業職などで出入りの激しい人が体調を崩してしまう冷房病が起きがちである。扇風機の場合、そうした心配が無い。 扇風機は、室内の空気を撹拌して冷暖房を補助するエアサーキュレーターとして使われることもある。また、洗濯物に風を当てて早く乾かすための道具として使われることもある。 (数十年前からだが)電池駆動の携帯型もある。「マニキュア/ネイルの乾燥に最適」などと謳っている商品も存在する。USB方式で5Vの電源を用いるタイプも増えている。 日本では、江戸時代には複数のうちわを軸に固定して手回しのハンドルで回転させる扇風機のような物が作られていた[6]。世界初の電気扇風機は19世紀後半、モーターの発明とほぼ時を同じくしてアメリカで開発・発売された[7][8]。直流に執着し、直流による発送電を行っていたトーマス・エジソンは直流モーターの扇風機を発売するが、交流発送電が主流になるにつれて、交流式モーターのものが主流となった。 日本ではゼネラル・エレクトリック(GE)の技術で芝浦製作所(東芝の前身)が1894年(明治27年)に発売したものが最初である[9]。本体に電球を備え付け、スイッチを入れるとプロペラが回るとともに電球が点灯する直流モーターの扇風機であった[注 1]。電球はプロペラを回す直流モータの回転を安定させるための抵抗であったとされる[10][11]。欧米では天井扇が主流であったが、日本ではほとんど需要がなく、卓上扇風機を中心に開発が進められ、当初は町工場も製造していたが、次第に財閥系の大企業が製造を独占した[12]。 1913年(大正2年)には、川北電気企業社から12インチの交流電気扇風機が発売された。大正時代には三菱電機、富士電機、日立製作所などのメーカーも参入し、本格的に国産扇風機が量産され始めた。各社の宣伝活動が盛んになり、大正期前半の扇風機は、黒色、4枚羽根、ガード、首振り機能が基本要素だった。高価な商品であったため、大半の人は扇風機貸付制度を利用しており、扇風機はステータスシンボルであった[12]。 昭和初期には川崎造船所(川崎重工業の前身)が、左右だけで無く上下の首振りも同時にする、2軸リンクの扇風機を発売した[13]。当時は「電気扇」「電扇」などと呼ばれていた。 扇風機は家屋や店、鉄道車両内などで広く利用され、夏の風物詩の一つともなった。俳句など詩歌で「扇風機」は夏を示す季語である[2]。夏目漱石の日記でも「扇風機が頭の上で鳴る」などと書かれている[2]。 高度経済成長期を経て、昭和後半から平成期には冷房機能を備えたエアコンが低価格化して普及した。扇風機が使用される機会は減ったが、夏がさほど酷暑でない地域に暮らしていたり、エアコンにより身体が冷え過ぎることを嫌ったり(いわゆる冷え性や冷房病など)して、扇風機や冷風扇を愛用する人もいた。 なお、1937年(昭和12年)より国税として物品税が課されるようになった(1989年(平成元年)まで)。他にも、地方税(府県税)として扇風機税を課している自治体も多かった[14]。 2011年の東日本大震災以降、節電、省エネルギー、エコロジーなどが強く意識されるようになるとともに扇風機の良さが再評価され、再び使用台数・販売台数が伸びてきた。 2017年時点、従来の誘導電動機よりも効率が良く、消費電力が小さいブラシレス直流モーターを採用した扇風機が多数登場している。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
概説
特長・用途
歴史
1800年代
1900年代
2000年代
川崎型電気扇
昭和後期頃の扇風機(SANYO製)
構造と機能.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}
出典検索?: "扇風機"
ごく一般的な電気扇風機のプロペラファンの枚数は、直線で構成できる2翅の他は、長らく3翅が主流であった。近年では@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}効率化の観点から[要出典]5翅が多い。これは、正三角形、正五角形のように、対角線が一筆書きになる図形を基にした放射線の方が、図面上配列を均一にしやすいことや、成型時に中心を取りやすく、かつ、工作精度の限界による図形上の中心と重量上の中心のズレが発生しても偏回転を起こしにくく、設計・製造の両面で有利であったためである。