所澤神明社
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神明社


拝殿
所在地埼玉県所沢市宮本町一丁目2-4
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度47分39秒 東経139度27分48秒 / 北緯35.79417度 東経139.46333度 / 35.79417; 139.46333 (所澤神明社)座標: 北緯35度47分39秒 東経139度27分48秒 / 北緯35.79417度 東経139.46333度 / 35.79417; 139.46333 (所澤神明社)
主祭神天照大御神
倉稲魂大神
大物主大神
社格等旧村社
創建不明
本殿の様式神明造
別名所澤神明社
例祭9月15日
主な神事人形供養祭(6月第1日曜日)
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}神明社
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所澤神明社(ところさわしんめいしゃ)は、埼玉県所沢市宮本町にある神社である。所澤総鎮守であり「武蔵国(むさしのくに)のお伊勢さま」としても知られる[1]。現在の御本殿・玉串門は明治35年(1902年)、幣殿・拝殿は昭和9年(1934年)に竣工したもので、関東有数の大規模な神明造の御社殿である[2]

6月第1日曜日人形供養が行われる。登記上の宗教法人名称は神明社(しんめいしゃ)。
祭神

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

倉稲魂大神(うかのみたまのみこと)

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

三柱の神様を総称して「神明さま」として祭祀。
由緒

日本武尊が東国平定の折にこの付近で休憩をした際、天照大御神に祈りを捧げたという伝説にちなんで祀ったとされている。文政9年(1826年)に起こった火災の為、記録資料等が全て焼失しそれ以前の詳細は不明である。同社の別当寺であった真言宗花光院が明治2年に廃寺となった後、明治5年(1872年)に所澤町の鎮守として村社に列し、大正3年(1914年)には、神饌幣帛料供進神社に指定される[2]

明治44年(1911年4月に日本最初の飛行場として開設された所沢飛行場において、その初飛行のパイロットとなった徳川好敏が前日に関係者数名とともに正式参詣したことから、今日では特に飛行機と空の安全に関する祈願のために参拝客も訪れる。
摂社

蔵殿神社(くらどのじんじゃ) -
祭神崇神天皇。所澤神明社の第一の摂社で、地主神とも伝えられている。階段中下、土蔵造りの小社殿。

鳥船神社(とりふねじんじゃ)- 祭神は鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)。徳川好敏が日本初動力飛行を成功させた明治44年(1911年)から数えて100年を記念して、平成23年(2011年)10月に創建された[3]。人々の願いを鳥船に乗せて高天原に伝えてくれると言われている。神社前に折り紙の準備があり、願いが書かれた無数の折り鶴が神社周りに結ばれている。本殿西脇。例祭は、4月5日[3]

稲荷社 - 祭神は豊受毘売神(とようけびめのかみ)。所澤神明社においては、本社が内宮、稲荷社が外宮という意味合いがあると考えられる。本殿西脇奥。


蔵殿神社

鳥船神社

稲荷社

末社
本殿西脇の連祠

八雲神社(やくもじんじゃ) -
祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)。 宝暦年間に所沢周辺で疫病が流行した際、薬王寺の和尚が鎮静を素戔嗚尊に祈ったところ霊験があり、その報賽として奉祀したことが起源。

天神社 - 祭神は菅原道真公

琴平神社 - 祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)。

水天宮 - 祭神は安徳天皇

病気平癒の神々

瘡守稲荷社(かさもりいなりしゃ) - 祭神は
倉稲魂命(うかのみかたのみこと)。寛政9年(1797年)、所沢村内の小沢利八なる者が疱瘡を病み、倉稲魂命に平癒を祈ったところ霊験があり、瘡守稲荷と称して崇敬したのが起源。

大国主神社(おおくにぬしじんじゃ) - 祭神は大国主命

煩宇斯神社(わずらいうしじんじゃ) - 祭神は煩宇斯命(わずらいうしのみこと)。

人形殿奥の連祠

阿夫利神社(あふりじんじゃ) - 祭神は
大山祇神(おおやまつみのみこと)。

五龍神社(ごりゅうじんじゃ) - 祭神は高?神(たかおかみのみこと)。

雷電社(らいでんしゃ) - 祭神は大電神(おおいかずちのみこと)。

慶應3年(1867年)に所澤神明社の隣に創立された阿夫利神社とその末社の五龍神社・雷電社が、明治22年(1889年)に神明社境内に遷され、神明社の末社となった。

戸隠神社(とがくしじんじゃ) - 祭神は手力雄命(たぢからおのみこと)。


水天宮 琴平神社 天神社 八雲神社

煩宇斯神社 大国主神社 瘡守稲荷社

戸隠神社 雷電社 阿夫利神社 五龍神社

境内手水舎

小高い南向斜面の上に建つ所澤神明社は、神明社としては比較的規模の大きな神社で東・西・南三方に鳥居参道があり本殿の北・西側は鎮守の杜となっている。総造りの現拝殿は1934年昭和9年)3月造営されたもので、屋根には先端が水平に切られた千木の間に太い鰹木が並んでいる。

彫刻の手水舎 - 花が浮かべられていることもある。付近に神社由緒や祭神についての詳細が日本語英語で書かれた説明板が立っている。

富士講の跡

大正天皇行幸記念碑

三ヶ島葭子の歌碑

境内合祀社

所澤招魂社 - 社務所東奥

人形殿 - 南正面参道階段下、駐車場奥、毎年6月の焚き上げまで人形はここに納められる。

主な祭事
節分祭

立春の前日2月3日に、新年を祝い除災幸福を願う祭事。神社に鬼はいないとの考え方から、氏子崇敬者や年男年女などによって「福は内」とだけ唱えて豆が撒かれる[4]


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