この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。
所得税法
日本の法令
法令番号昭和40年法律第33号
種類租税法
効力現行法
成立1965年3月31日
公布1965年3月31日
施行1965年4月1日
所管(大蔵省→)
財務省[主税局]
国税庁[課税部]
主な内容所得税について
関連法令法人税法、地方税法、租税特別措置法
条文リンク所得税法
所得税法(しょとくぜいほう、昭和40年法律第33号)は、広義の所得に対する税のうち、個人の所得に対する税金について定めた日本の法律。所管官庁は、制度の立案に関しては財務省主税局税制第一課、執行に関しては国税庁課税部個人課税課である。所得税法(昭和22年法律第27号)を全部改正して制定された。 日本は租税法律主義を採っており、所得税については、所得税法で定められている。本法は純資産増加説、即ち包括的所得概念に基づく理念の基、立法されている[1]。原則は所得超過累進税率及び申告総合課税方式を採用するものである。これは暦年の個人所得合計額から人的控除額を差し引いた課税標準額に、相応する超過累進税率を乗じて税額を計算した上で、納税義務者自らが課税庁に申告及び納付するというものである。一方で、租税条約又は租税特別措置法による修正が採られていることも多く、このために所得分類、特に利子・配当・給与・雑・一時・譲渡・山林・退職の源泉ごとにそれぞれに超過累進税率と異なった税率を適用する分類所得税的な要素も散見される。これは昭和15年所得税法の名残りであると考えてよい。また、申告総合課税だけでなく、申告分離課税又は源泉分離課税といった複数の課税方式を採用している点も加えておく。 所得税法第2条に列挙する定義は制限的なものと概括的なものとが入り混じっている。これは他の公法(国籍法、戸籍法等)又は私法(民法、商法、金融商品取引法等)体系と接近するためであり、所得概念が包括的・重層的であることの証左でもある。加えて租税特別措置法等による修正があることで、租税制度を知らないままでは、個人が金融に投資する場合や不動産を譲渡する場合、正確な課税関係を語るのはほぼ不可能である[2]。もっとも経済活動の無国籍化・電子化に伴い、人物問わず流動性が急激化しているために課税関係が多元化することはやむを得ない面がある。しかし、所得税法に限ったことではないものの、新たな課税要件を都度に法条で定義するに当たり、必ず文言の射程限界に注意を払わなければならず、結果として重畳規定又は競合規定が増加し、複雑難解な法構造となることは自明である。そのため、制度の簡素性を損なわしめている観が否めず、民主的な申告納税制度を原則としながら、国民の租税制度理解を遠ざけかねない。また時限立法であるはずの租税特別措置法が利害関係人からのレントシーキングによって実質恒久化するに伴い、税負担の公平性が担保できているか疑問を呈せざるを得ない面がある。 日本の所得税は1887年(明治20年)に、所得税法(明治20年3月23日勅令第5号)3月23日公布、7月1日実施により導入された。導入の当初は、所得金額300円以上の高額所得者のみを納税義務者としていたことから、名誉税とも呼ばれた。税率は最小1%、最大3%であり、税収に占める割合は僅かなものであった。しかし、酒税と地租以外有力な税収を持たない明治政府にとって、将来的には公平な負担をもたらす有力な税収となるとして期待されていた。帝国議会制定前に制定され、かつ、「所得税法」という題名が付されていたが、法形式が勅令であったので、大日本帝国憲法施行後は、大日本帝国憲法第63条の適用により有効とされた。1899年(明治32年)に所得税法 (明治32年2月13日法律第17号)が制定[3]され、法人所得を第一種所得として課税するようになった(日清戦争後第2次増税の一環)。 昭和に入ると、日本の対外進出が積極化する。日中戦争(1937年 ? 1945年)・太平洋戦争(1939年 ? 1945年)などの第二次世界大戦に突入することで多額の税収が必要になり、税制も戦時体制に組み込まれる。1940年(昭和15年)の全部改正で、所得税法 (昭和15年3月29日法律第24号)となり、所得税から法人への課税(法人税)が分離し法人税法 (昭和15年3月29日法律第25号)が制定された。そして、総合所得税と分類所得税を採り入れ、所得税を分類し基礎控除を引き下げることで所得税を大衆化した。さらに源泉徴収も拡充し現代の所得税の仕組みが整う(「1940年体制(15年体制)」)。 1945年(昭和20年)、日本は第二次世界大戦で敗戦し、GHQの統治下に下る。日本国憲法の制定に伴う、所得税法の全部改正で、所得税法 (昭和22年3月31日法律第27号)となり、申告納税制度の導入や総合課税への一本化が行われた。1948年(昭和23年)には租税法学者カール・シャウプらが来日し、わが国の所得税法体系を徹底研究し、不十分な累進税率と源泉徴収制度のような申告納税制度と相反する要素を指摘したシャウプ勧告を提出し、完全総合累進所得税や各種控除、青色申告制度などを提唱した。日本政府はこれを受けて税制を改正、1950年(昭和25年)に所得税法の一部を改正する法律(昭和25年3月31日法律第71号)として、法律となった(シャウプ税制)。しかし、1953年(昭和28年)の改正(所得税法の一部を改正する法律(昭和28年8月7日法律第173号)では逆コースの流れで多くの修正がくわえられた。その後、日本は高度経済成長によって税制の自然増が続く時代を迎える。 1965年(昭和40年)に、所得税法は全部改正される。大蔵大臣田中角榮の説明では、この理由は「納税者の理解を容易にする見地から、規定の体系的な整備と表現の平明化を中心とする税法の整備をはかるため」、また「租税法律主義をたてまえとしつつ、同時に、一般の納税者にわかりやすい法令体系にするため、現在政令または省令で規定されている事項で重要なものは法律において規定することとするとともに、規定の配列、表現の平明化等についても理解しやすいものにする」ためである[4]。 1973年(昭和48年)のオイルショック以降、日本の経済成長率は低下し、社会構造の変化に税制が対応できていないと認識されるようになる。そのような認識を受けて、1988年(昭和63年)に、「所得課税を軽減し、消費に広く薄く負担を求め、資産に対する負担を適正化すること[5]」とする税制の抜本改革が行われる(昭和63年改正[6])。個人所得税の税率が簡素化、最高税率も引き下げられた。 所得分類は各所得の金額計算方法の違いによってタックス・シェルター 所得税は総合課税の方法をとっている一方で、所得分類という分類所得税的な制度を組み込んでいる。
概説
所得税法の歴史
所得分類論
所得分類の機能
所得分類の根拠
担税力の差異
所得は種類によって担税力が異なるという考え方。所得を勤労所得(給与、退職)・資産所得(利子、配当、不動産、山林、譲渡など)、資産勤労結合所得(事業など)に分けた時、源泉の安定性ゆえに資産所得が最も担税力が強く、源泉の不安定性から勤労所得が最も担税力が弱いとする(資産所得重課、勤労所得軽課)。この考え方の元には、資産所得は時間の経過と共に何もしなくても確実に収入が入るため、それに加え勤労所得を得ることができる一方で、勤労所得は労働者の健康や生死に左右され、収入を子孫に相続できないという前提があるとされている[7]。経済的利益を所得として構成する包括的所得概念論、純資産増加説と親和性が高い。しかし現実には所得発生の原因に即して柔軟に対応することが求められる。
費用控除
所得には包括的な費用控除が認められる独立的継続的な営利活動による所得(不動産、事業、山林など)と部分的にしか所得控除が認められない所得がある。
源泉徴収、予定納税
所得税は利子、配当、給与、退職には所得分類を前提に源泉徴収制度を定めており、源泉徴収可能性が所得分類の中で考慮されている可能性がある[8]。