この項目では、長野県長野市にある戸隠神社について説明しています。そのほかの戸隠神社については「戸隠神社 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
戸隠神社
中社大鳥居
所在地長野県長野市戸隠3690
位置奥社/九頭龍社:
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度45分56.2秒 東経138度3分43.5秒 / 北緯36.765611度 東経138.062083度 / 36.765611; 138.062083
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戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、以下に記す五社を配する神社。旧社格は国幣小社。 一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、九頭龍社の創建はこの奥社よりもさらに古いとされている。伝承では、この地の地主神である九頭龍大神が、天手力雄命を迎え入れたといわれている。 縁起によれば、飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。 また『日本書紀』の天武紀には684年三野王(美努王)を信濃(現在の長野県)に派遣して地図を作らせ、翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせ、691年に持統天皇が使者を遣わし、信濃の国の須波、水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社とする説もある。 当神社の御神体である戸隠山の名称は、天照大神が籠っていた天の岩戸を天手力雄命が力まかせに投げ飛ばしたとき、その一部が飛んできて山になったという伝説から生じている。 平安時代後期以降は、天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名を知られ、修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山(延暦寺)、高野山(金剛峯寺)と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めた。 平安末期には、霊場としての戸隠は京の都でもよく知られていたらしく、『梁塵秘抄』には「四方の霊験所は、伊豆の走湯、信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山…」とうたわれるまでになっていた。 当山(延暦寺山門派)の別当職であった栗田氏が鎌倉時代以後は山麓の善光寺(園城寺寺門派)別当をも世襲したこともあって両寺は関連を強め、参詣者は一度に両方を共に参詣することが多かった。
歴史
創建
平安時代から室町時代