戸畑市章
1924年9月1日制定
廃止日1963年2月10日
廃止理由新設合併
戸畑市、門司市、小倉市、八幡市、若松市 → 北九州市
現在の自治体北九州市
廃止時点のデータ
国 日本
地方九州地方
都道府県福岡県
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口108,155人
(推計人口、『北九州市史 近代・現代 行政社会』800頁、1963年10月1日現在)
隣接自治体小倉市、八幡市、若松市
戸畑市役所
所在地福岡県戸畑市新池町
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度53分36秒 東経130度49分47秒 / 北緯33.89344度 東経130.82981度 / 33.89344; 130.82981
戸畑市(とばたし)は、福岡県北東部にかつてあった市。市域の北は響灘、北から西を洞海湾に囲まれた一部が岬状の地形で、八幡製鐵の主力工場・戸畑製造所などが操業する工業都市であった。1963年(昭和38年)2月10日に小倉市・門司市・若松市・八幡市と合併して北九州市となり消滅した[1]。
北九州市が1964年(昭和38年)4月1日に政令指定都市に昇格した際、旧戸畑市域は行政区の一つである戸畑区となり、大字中原の一部が小倉区(現:小倉北区)に組み入れられた[1]。 地名の由来は、岬門の端にあるので「門端」の意味。奈良時代には「飛幡浦」あるいは「鳥旗」と記されている。室町時代、筑前国御牧(みまき)郡麻生庄に「戸幡」とあり、「戸端」「都波多」「鳥羽田村」とも記された。江戸時代には福岡藩に属し、「戸畑村」と称し漁業と農業が産業であった[2]。幕末に福岡藩が砲台を築いたが慶応3年(1867年)に取り壊された[3]。 1871年、廃藩置県によって福岡県に属した。農業、漁業が営まれていたが、明治20年(1887年)代から石炭関連のコークス工場などが建てられるようになり工業化が進められた。大正末期から埋立、区画整理が進められ、工場用地が拡張された。昭和30年(1955年)代にほとんどの農地は宅地化され、市役所などの公共施設を新池町に集中して整備を行った[3]。 ※北九州市となるまで市域の変更はなかった。 歴代市長[4]代氏名就任日退任日備考 ※1962年頃[5]。
歴史
沿革
市域の変遷
1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、遠賀郡戸畑村・中原村が合併し村制施行して戸畑村が成立。
1899年6月10日 - 戸畑村が町制施行して戸畑町となる。
1924年9月1日 - 戸畑町が市制施行して戸畑市となる。
1963年2月10日 - 小倉市、八幡市、門司市、若松市と合併して北九州市となり消滅。
1963年4月1日 - 北九州市の政令指定都市昇格に伴い旧市域が戸畑区となる。
人口の変遷
1925年 37,748
1930年 51,674
1935年 67,800
1940年 84,260
1945年 56,585
1947年 68,083
1950年 87,885
1955年 97,214
1960年 108,708
行政
歴代市長
官選
-吉川充雅
1吉川充雅1925年(大正14年)1月16日1929年(昭和4年)1月15日
21929年(昭和4年)1月16日1933年(昭和8年)1月15日
3鶴田豊1933年(昭和8年)4月5日1937年(昭和12年)4月4日
41937年(昭和12年)4月5日1941年(昭和16年)4月4日
51941年(昭和16年)4月5日1945年(昭和20年)4月4日
61945年(昭和20年)4月5日1946年(昭和21年)10月28日
公選
7竹内清之助1947年(昭和22年)4月8日1951年(昭和26年)4月7日
81951年(昭和26年)4月25日1955年(昭和30年)4月24日
9白木正元
101959年(昭和34年)5月2日1963年(昭和38年)2月9日
国の機関
法務省
福岡法務局小倉支局戸畑出張所
大蔵省
門司税関若松税関支署戸畑出張所
運輸省
九州海運局若松支所戸畑出張所
第四港湾建設局洞海湾工事事務所
郵政省
戸畑郵便局
九州電波監理局戸畑出張所
労働省
八幡労働基準監督署戸畑事務所
主な医療機関
市立戸畑病院[6]
脚注[脚注の使い方]^ a b 『日本歴史地名大系』41、166頁。
^ 『角川日本地名大辞典』40、937頁。