戸山町
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戸山
町丁
戸山ハイツの様子(写真右)
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日本
都道府県 東京
特別区 新宿区
地域牛込地域(一部)
淀橋地域(一部)

人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口8,959 人
 世帯数5,527 世帯

面積[2]
 0.670068273 km²
人口密度13370.28 人/km²
郵便番号169-0052(3丁目18・21番)[3]162-0052(その他)[4]
市外局番03(東京MA[5]
ナンバープレート練馬
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戸山(とやま)は、東京都新宿区町名。現行行政地名は戸山一丁目から戸山三丁目。住居表示実施済みの地域。
地理

新宿区の地理的中央部に位置する。町域東部は、喜久井町若松町に接する。北東部は、馬場下町に接する。北部は、諏訪通りに接し、これを境に西早稲田2丁目に接する。西部は、明治通りに近く、これを境に大久保2・3丁目に接する。南部は大久保通りに接し、これを境に新宿7丁目と若松町に接する。

町域内は一般住宅や大規模団地の「戸山ハイツ」のほか、徳川家の回遊庭園が置かれた際に造られ現在でも残っている箱根山を中心とした都立戸山公園といった緑地や、東京都立戸山高等学校学習院女子大学早稲田大学戸山キャンパスといった文教施設、国立国際医療研究センター病院といった医療施設も見られる。
地価

住宅地の地価は、2023年令和5年)7月1日公示地価によれば、戸山1-7-4の地点で73万1000円/m2となっている[6]
歴史

現在戸山2丁目・3丁目となっているあたりの低地はもともと和田戸と呼ばれており、南から神田川の支流の蟹川が流れ、現在学習院女子大学のある高台に当たって穴八幡宮に向かって折れていた。この一帯は和田戸氏が治めていたとされ源頼朝の再起にまつわる伝説があるが、和田戸氏については史料になく詳細は不明である。おそらく和田戸の台地を和田戸山と呼び、それが戸山の地名の起こりであると推測されている。また和田戸の西側には護明村があった。一方、戸山1丁目の辺りは戸塚村(一部牛込村)に属していた[7]

寛文11年(1671年)に徳川家光の娘千代姫尾張徳川家光友に嫁いだ際に、住民を他へ移して下屋敷が作られ戸山荘と呼ばれた。その庭園小石川後楽園に並ぶ江戸の大名庭園でも指折りの庭園であった。しかし風水害で荒廃し、幕末に焼失後はそのまま復興されなかった。享保16年(1731年)に牛込破損町が成立する。

明治時代になり、現在の大久保や百人町も含むこの付近は軍用地として利用された。近辺は戸山ヶ原と呼ばれ、陸軍の射撃場や陸軍の軍人養成機関である陸軍戸山学校など軍事関係の施設が設置された。これらの施設は第二次世界大戦終結まで存在した。

戦後すぐに住宅難で家が不足する事態に陥り、これを打破すべく東京都によって都営住宅が建設され、都内の団地の原点ともいえる戸山ハイツが1949年に完成した[8]。1972年に鉄筋コンクリートの高層住宅に立て替えられたが[8]、現在でも町域内の中心的な存在となっている。

1981年住居表示が実施されるまでは、1・2・3丁目のほぼ全域が「戸山町(とやまちょう)」という一つの町域を構成していた。この名前は現在でも町域内にある店舗名やバス停名などに見ることができる。
沿革

江戸時代 - 牛込破損町、および戸山荘。

1871年(明治4年)12月(旧暦:1871年11月) - 東京府の行政区分に編入される。それまで戸山荘は武家地として区分外であり、牛込破損町は品川県の管轄だった。第3大区7小区に属したが、牛込破損町は品川県からの移管の関係上、新宿口第23区の所属とされた。

1872年(明治5年)5月(旧暦:1872年6月) - 戸山荘と周囲の開墾地や寺地などを併せ、牛込戸塚町(のちに下戸塚町)とする[注釈 1]

1873年(明治6年)3月18日 - 区割り改正により、牛込破損町は第8大区3小区、下戸塚町は第8大区4小区に属す。

1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法施行により発足した牛込区に属する。

1889年(明治22年) - 市制施行により東京市牛込区となる。


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