戸塚進也
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日本政治家戸塚 進也とつか しんや
生年月日 (1940-01-02) 1940年1月2日(84歳)
出生地 日本 静岡県静岡市両替町
出身校日本大学法学部
前職通商産業省軽工業局職員
株式会社平喜百貨店常務取締役
現職財団法人日韓文化交流基金理事
社団法人静岡県茶業会議所理事
所属政党(自由民主党→)
無所属→)
たちあがれ日本→)
(無所属→)
立憲民主党[1]
称号法学士日本大学1963年
旭日重光章
親族叔父・戸塚九一郎
公式サイト ⇒戸塚進也の窓
初代 掛川市長
当選回数1回
在任期間2005年4月25日 - 2009年4月23日
衆議院議員
選挙区旧静岡1区
当選回数3回
在任期間1983年12月19日 - 1993年6月18日
参議院議員
選挙区静岡県選挙区
当選回数2回
在任期間1974年7月8日 - 1983年11月18日
静岡県議会議員
当選回数1回
在任期間1971年 - 1974年6月
掛川市議会議員
当選回数1回
在任期間1967年 - 1971年
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戸塚 進也(とつか しんや、1940年昭和15年)1月2日[2] - )は、日本通産官僚政治家財団法人日韓文化交流基金理事社団法人静岡県茶業会議所理事。

衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)、掛川市長(初代)、静岡県議会議員(1期)、(旧)掛川市議会議員(1期)を歴任。
来歴

静岡県静岡市両替町に生まれる。徳島県をはじめとする各県の知事、衆議院議員を務めた戸塚九一郎は叔父。

玉川学園小学部から高等部まで籍を置き続け、高等部を卒業して1年後の1959年4月に通商産業省職員となって軽工業局に勤務。通産省を2年で退官して株式会社平喜百貨店(現・株式会社平喜)に転職し、会社員をしながら1963年3月に日本大学法学部第二部法律学科を卒業。同年4月、平喜百貨店常務取締役就任(2014年11月まで株式会社平喜取締役を務める)。1967年に旧・掛川市議に当選して政界入りを果たし、4年後には掛川市選挙区から静岡県議になる。
国政

1974年参院選静岡県選挙区から自由民主党公認で立候補し初当選。1980年に再選。

1983年11月18日、第37回衆議院議員総選挙に立候補するため辞職。同年12月に行われた衆議院選挙に無所属で立候補し初当選。以後衆議院議員を3期務めた。政治家としては田中角栄に心酔、七日会田中派)では幹事を務めていた。

しかし、1993年総選挙で落選。更に衆議院に小選挙区比例代表並立制が導入されると、自由民主党の衆議院静岡3区(旧掛川市、旧小笠郡など)の公認候補は柳澤伯夫になったため、やむを得ず静岡1区(静岡市)に転出した。ところが、地元静岡1区の党員の頭越しに決定されたため、静岡1区の選挙区支部(自由民主党静岡県支部連合会第一選挙区支部)が反発。支部の有力者は天野進吾(元静岡市長)を擁立し、更に上川陽子が第三の候補として立候補したため党内の足並みが乱れた。

その余波を受け、小選挙区比例代表並立制導入後初の1996年総選挙では天野と保守票が割れてしまい、新進党大口善徳が漁夫の利で当選となった。雪辱を期そうとした2000年総選挙でも自民党公認候補にもかかわらず上川に敗れたばかりか、牧野聖修民主党)や大口の後塵を拝する格好になり、国政復帰の道を事実上絶たれた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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