戸倉ハル
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戸倉ハル東京女子高等師範学校助教授時代(1938年/41歳)
人物情報
全名戸倉 ハル
生誕戸倉 ハル
(1896-11-09) 1896年11月9日
日本香川県仲多度郡南村[1][2] 田村(現・丸亀市田村町[3]
死没 (1968-09-16) 1968年9月16日(71歳没)
日本東京都文京区本郷七丁目 東京大学医学部附属病院[4]
十二指腸潰瘍[4]
居住 日本東京都文京区大塚四丁目[4]
国籍 日本
出身校東京女子高等師範学校研究科[1][5]
両親父:戸倉宇吉[1][3]
母:戸倉エイ[1][3]
学問
時代大正 - 昭和
活動地域 日本
研究分野体育学幼児教育
研究機関お茶の水女子大学
日本女子体育短期大学大学
指導教員永井道明二階堂トクヨ
称号勲六等瑞宝章[6]
勲三等宝冠章[3]
主な業績学校ダンスの普及
影響を受けた人物永井道明、二階堂トクヨ
影響を与えた人物松本千代栄
学会日本女子体育連盟
主な受賞歴日本学士会アカデミア賞[1]
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戸倉 ハル(とくら ハル、1896年11月9日 - 1968年9月16日[3])は、日本教育者お茶の水女子大学名誉教授[7]香川県仲多度郡南村[1][2](現・丸亀市[3])出身。専門分野は女子体育と幼児教育[8]、「学校ダンスの第一人者」と呼ばれた[3]レコードなどに残したオリジナルのダンス用の楽曲はおよそ800曲に及び[9]、教え子によって広められた戸倉のダンスは日本各地の学校で伝統として継承されている[10]
経歴
生誕から学生時代(1896-1918)

1896年(明治29年)11月9日に[3]、香川県仲多度郡南村[1][2] 田村(現・丸亀市田村町)にて父・戸倉宇吉、母・戸倉エイの長女として生まれた[3]。戸倉家は代々、村長を務めてきた家系で、戸倉は父母・祖父母の愛を一身に受けてのびのびと育った[3]。毎日のようにお伽話を聞いて育ち、特に浦島太郎桃太郎が思い出に残ったと後年に語っている[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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