戴冠式頌歌
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エドワード7世戴冠式で聖別を受ける「古代の諸王の娘」アレクサンドラ王妃ヴィクトリア女王以来64年ぶりに挙行される戴冠式のために「戴冠式頌歌」は作曲された。エドワード・エルガーアーサー・クリストファー・ベンソン(Arthur Christopher Benson).mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

『戴冠式頌歌』(たいかんしきしょうか Coronation Ode)作品44は、エドワード・エルガー作曲のソプラノメゾソプラノテノールバス合唱管弦楽による合唱曲。歌詞はアーサー・クリストファー・ベンソン(英語版)による。本作は1902年の英国王エドワード7世と妃アレクサンドラの戴冠式のために書かれた。「エドワード7世陛下の特別な勅許」によって献呈された。しかし王の病気のため、戴冠式の挙行は延期された[1]そのため、初演は1902年10月2日のシェフィールド・フェスティバルまで延期された。初演はエルガー自身の指揮でアグネス・ニコルズ(英語版)、 ミュリエル・フォスター(英語版)、 ジョン・コーツ(英語版)とデイヴィッド・フラングコン・デイヴィス(英語版)の歌唱とシェフィールド合唱団によってなされた。ロンドンでの初演は同年の10月26日にコヴェント・ガーデンで行われた。

本作は6つのパートがある。I - 導入部:「王が戴冠したまわんことを("Crown the King")」II - (a) 「王妃("The Queen")」(b) 「古代の諸王の娘("Daughter of ancient Kings")」III -「英国よ、自問せよ ("Britain, ask of thyself")」IV - (a) 「聞け、神聖なる天空で("Hark upon the hallowed air")」(b)「ただ心が純粋になれ("Only let the heart be pure")」V - 「平和、麗しき平和よ"Peace, gentle peace"」VI - 終結部: 「希望と栄光の国("Land of Hope and Glory")」



歴史エドワード7世.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}威風堂々威風堂々第1番中間部この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。希望と栄光の国希望と栄光の国編曲版(クララ・バット歌唱)この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

1901年にヴィクトリア女王が崩御すると、その息子エドワード7世の戴冠式の調整がほどなく着手された。この年の暮れにコヴェント・ガーデン・グランドオペラ会社はエルガーに、翌年7月に計画されている戴冠式前夜のロイヤル・ガラの作品を委嘱した。エルガーはベンソン(もしかしたらこれは王の要請かもしれない)を台本を提供させるために招聘した。ベンソンは作家でもあり音楽家でもあった。このコラボレーションは大成功した。

王はエルガーに『威風堂々』第1番のトリオの部分に歌詞がつけられたらと示唆を与えた。エルガーは王の示唆を採りあげ[2]、「頌歌」のクライマックスにこの曲を組み込むために、歌詞の作成をもとめた。エルガーは1902年2月に書きはじめ、3月末までに声部を書き終えた。その内訳は I, III, IV, V VIであった。それからベンソンは、アレクサンドラ王妃にふれた歌の必要性を実現させ、「古代の諸王の娘」を加えた。これはエルガーがしぶしぶ「王が戴冠したまわんことを」の後に付け加えた。エルガーは「英国よ、自問せよ」を「王が戴冠したまわんことを」の後に続けさせたかったのである。

ブージー出版は、大変な人気を博したので[3]、エルガーに「希望と栄光の国」の改訂版を求め、それは別の曲として作成された。


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