戦車連隊
[Wikipedia|▼Menu]

戦車連隊(せんしゃれんたい)とは、地上部隊の部隊編制の一つで、戦車を中心として編成された連隊のことである。なお、ドイツ国防軍の当該部隊については装甲連隊(そうこうれんたい)と和訳することが多い。
概要

部隊名は「連隊」であるが、必ずしも複数の大隊で構成されているわけではなく、複数の中隊によって構成される実質大隊規模のケースもある。戦車のみで構成される部隊編成としては最大規模のものであり、戦車のほかには連隊本部と整備要員程度しか持たないのが一般的である。連隊より大きな編制である機甲師団などの場合、通常、歩兵部隊・兵站部隊などを含む諸兵科連合の編制となる。

戦車連隊は、連隊単独で戦闘を行うことは少なく、歩兵工兵砲兵と一緒になった戦闘団(諸兵科連合部隊)を臨時に編成して戦闘を行う場合が多い。
各国の戦車連隊
ドイツ軍

第二次世界大戦時のドイツ陸軍においては、装甲連隊は複数の装甲大隊によって構成されていた。大戦末期には、1個装甲連隊は2個装甲大隊で構成されている。連隊に所属する戦車の種類は、主力戦車の登場前であることもあって統一されておらず、重戦車中隊などが含まれていた。
ソ連軍

1941年時点におけるソ連赤軍の戦車連隊は4個中隊編成であったが、1942年頃には、緒戦の損害による戦車や乗員の不足のため3個中隊編成となった。各中隊の車種が統一されていないこともあって、必ずしも柔軟な作戦行動を行えるわけではなかった。大戦後半には連隊内の車種の統一が行われ、作戦への柔軟性が向上している。

冷戦期においてのソ連軍戦車連隊は戦車大隊3個を中心に自動車化狙撃兵大隊、砲兵大隊、防空中隊など多数の部隊で編成され、ある程度の独立行動が可能な諸兵科連合部隊であった。自動車化狙撃兵師団には1個、戦車師団には3個の戦車連隊が編成されていた。
イギリス軍

第二次世界大戦時のイギリス軍は、旅団の隷下に戦車連隊を置いており、各戦車連隊は3個中隊で構成されていた。
アメリカ軍

アメリカ陸軍機甲師団には、戦車連隊が存在していない。各師団が複数の戦車大隊を隷下においており、必要に応じて戦闘団司令部に指揮させる方法を取っている。海兵隊の場合も、戦車大隊が最大の編制単位である。しかし、伝統の維持を目的として各大隊には連隊(作戦指揮には関与せず、書類上のみのものであり連隊本部等は存在しない)が指定されてはいる。
大日本帝国陸軍

大日本帝国陸軍の戦車部隊は、1925年大正14年)5月1日創設の「第1戦車隊」(久留米)と「歩兵学校戦車隊」(千葉)に始まり、1933年昭和8年)8月に、それぞれ戦車第1連隊第12師団に所属)と戦車第2連隊(第1師団に所属)に改編され、最初の戦車連隊となった。

これらの2個戦車連隊の他、1933年(昭和8年)10月に戦車第3大隊が、1934年(昭和9年)4月に戦車第4大隊が編成され関東軍独立混成第1旅団に所属し、1936年(昭和11年)4月に支那駐屯戦車隊が編成され支那駐屯軍に配備された。その後、1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発すると戦車第34大隊が連隊に改編された他、1938年(昭和13年)には戦車第8連隊までが編成された。

第二次世界大戦前期の大日本帝国陸軍においては、標準編制の戦車連隊は4コ中隊で構成され、そのうち第1中隊は軽戦車を、第2から第4中隊は中戦車を装備していた。例外的な編制としては、2コ中隊しか有しない小規模の連隊や、機動歩兵中隊や工兵などを有する諸兵科連合型の単独で作戦可能な連隊も存在した。後に砲戦車を装備した第5中隊が加えられたが、実際に砲戦車が配備された例はほとんど無く、部隊は編成されたものの装備は揃わない、といった状態がほとんどであった。

1942年(昭和17年)にはより集団的な戦車の運用を目的として、戦車連隊を中核とした機甲軍-戦車師団-戦車旅団が編成された。しかし実際には、機甲軍は1年あまりで解体され機甲軍団として戦闘に投入されたことは無く、日本軍においては、歩兵部隊を基幹とした通常の師団を支援するという形で、師団、旅団、連隊単位での作戦参加が行われたに過ぎなかった。

連隊名前身創設編成地設立最終配置
戦車第1連隊第1戦車隊1925年
(大正14年)
5月1日久留米1933年
(昭和8年)
8月1日栃木県佐野
戦車第2連隊歩兵学校教導隊戦車隊千葉神奈川県戸塚
戦車第3連隊戦車第3大隊(久留米)1933年
(昭和8年)
10月1日公主嶺1937年
(昭和12年)
8月1日南支全県
戦車第4連隊戦車第4大隊(習志野)1934年
(昭和9年)
4月1日1938年
(昭和13年)
8月1日ティモール
戦車第5連隊久留米1937年
(昭和12年)
8月2日埼玉県加須
戦車第6連隊戦車第1連隊より基幹要員青野ヶ原1939年
(昭和14年)
8月1日
戦車第7連隊戦車第1大隊(久留米)1937年
(昭和12年)
7月27日中支1938年
(昭和13年)
7月2日
戦車第8連隊戦車第2大隊(習志野北支ラバウル
戦車第9連隊戦車第3連隊・戦車第5連隊より基幹抽出鉄嶺1939年
(昭和14年)
8月1日サイパン
戦車第10連隊戦車第5連隊・戦車第9連隊より基幹抽出哈爾浜滅(比)
戦車第11連隊満州斐徳1940年
(昭和15年)
3月1日千島占守島
戦車第12連隊支那駐屯戦車隊
独立軽装甲車第1(東京)・第10(善通寺)・第12中隊(宇都宮)1938年
(昭和13年)
1939年
(昭和12年)
7月27日
1939年
(昭和12年)
8月24日北支1939年
(昭和14年)
10月28日京城
戦車第13連隊独立軽装甲車第2(東京)・第6(熊本)・第7中隊(旭川)1939年
(昭和12年)
7月27日
1939年
(昭和12年)
8月24日漢口1939年
(昭和14年)
11月30日北京
戦車第14連隊独立軽装甲車第11(善通寺)・第51(関東軍)・第52中隊(関東軍)1938年
(昭和13年)
9月19日広東1939年
(昭和14年)
11月10日ラングーン
戦車第15連隊第1師団戦車隊1940年
(昭和15年)
12月14日孫呉1942年
(昭和17年)
6月24日ニコバル
戦車第16連隊第23師団戦車隊1940年
(昭和15年)
12月14日海拉爾1942年
(昭和17年)
6月27日復員(ウェーク島[注 1]
戦車第17連隊戦車第2連隊補充隊を復帰・充当津田沼1942年
(昭和17年)
6月24日天津
戦車第18連隊戦車第1連隊補充隊を復帰・充当久留米宮崎県綾町
戦車第19連隊戦車第6連隊補充隊を復帰・充当青野ヶ原久留米
戦車第20連隊[注 2]未編成
戦車第21連隊[注 3]上井出
戦車第22連隊盛岡1942年
(昭和17年)
8月1日北海道帯広
戦車第23連隊戦車第5連隊 編成担任牡丹江
愛河1941年
(昭和16年)
9月13日静岡県引佐
戦車第24連隊公主嶺陸軍戦車学校教導連隊[注 4]1940年
(昭和15年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:24 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef