戦車撃破章
Panzervernichtungsabzeichen
ドイツ国による賞
種別勲章
受章資格単身攻撃による戦車の撃破
対象戦役第二次世界大戦
歴史・統計
創設1942年3月9日
総授与数金章:400
銀章:18,000
右腕に戦車撃破章金章・銀章を着用したドイツ陸軍突撃砲兵のマネキン
戦車撃破章(せんしゃげきはしょう、ドイツ語: Sonderabzeichen fur das Niederkampfen von Panzerkampfwagen durch Einzelkampfer、ドイツ語: Panzervernichtungsabzeichen)は、ナチス・ドイツの勲章。
概要戦車撃破章を授与されるグロースドイッチュラント師団の兵士
1942年3月9日にアドルフ・ヒトラーにより制定された戦車撃破章は、擲弾など携行可能な火器を用いて戦車を撃破した者に授与された。1941年6月22日までさかのぼったバルバロッサ作戦等も授与の対象とされた。
1943年12月18日には戦車撃破章金章が制定され、5輌撃破で金章が授与されるようになった[1]。それまでは1輌撃破ごとに銀章が与えられていたが、これを機に今までの銀章も5枚で金章1枚と交換することが可能となった。 製造業者によって若干の差異があるが、横88mm・縦33mmの長方形リボンの真ん中に、プレス成型された横42mm・縦18mmのIV号戦車バッジが取り付けられている。また、リボンの上下ともに2mmの箇所に幅4mmの線が横に走っている。リボンの裏側には2本ないし3本のピンがあり、これらを上衣の右上腕部に突き通し、裏側から留め具で固定することで佩用した。 名前写真撃破数備考
デザイン
著名な受章者ヨハン・ルッツ(本項リストではヨハネス・ルッツと表記)少尉に戦車撃破章金章を授与する旨を記した第116装甲師団長の命令書
ギュンター・フィーツェン21
フリードリヒ・アンディング
表
話
編
歴
ナチス・ドイツの勲章
党及び文民
血盟勲章
黄金党員名誉章
コーブルク闘争名誉章
ナチ党勤続章
1938年3月13日記念メダル
1938年10月1日記念メダル
1939年3月22日メーメル返還記念メダル
ダンツィヒ十字章
ドイツ勲章
ドイツ鷲勲章
ドイツ芸術科学国家賞
ドイツ母親名誉十字章(ドイツ語版)
軍功一般
1941年/1942年東部戦線冬季戦記章
大鉄十字星章
大鉄十字章
騎士鉄十字章
ドイツ十字章
鉄十字章
鉄十字章略章
スペイン十字章
戦功十字章
名誉十字章
戦功章
ドイツ防壁名誉章
戦傷章
陸軍
親衛隊/武装親衛隊
パルチザン掃討章
陸軍対空砲章
陸軍降下猟兵章
青師団メダル
白兵戦章
一般突撃章
歩兵突撃章
戦車突撃章
戦車撃破章
低空飛行機撃破章
自動車防護章
観測気球章
狙撃手章
東方民族の勇気を讃えるための功労章
陸軍名誉鑑章
国防軍勤続章
親衛隊勤続章
空軍
パイロット章
観測員章
パイロット兼観測員章
対空砲章
空軍前線飛行章