戦艦シュペー号の最後
The Battle of the River Plate
監督マイケル・パウエル
エメリック・プレスバーガー
脚本マイケル・パウエル
エメリック・プレスバーガー
製作マイケル・パウエル
エメリック・プレスバーガー
ナレーターデビッド・ファラー
出演者ジョン・グレッグソン
アンソニー・クエイル
ピーター・フィンチ
音楽ブライアン・イースデイル
撮影クリストファー・チャリス
『戦艦シュペー号の最後』(せんかんシュペーごうのさいご、The Battle of the River Plate)は1956年のイギリスの映画。
第二次世界大戦の大西洋の戦い序盤で生起したラプラタ沖海戦で、ドイツ海軍 (Kriegsmarine) の軍艦(装甲艦)「アドミラル・グラフ・シュぺー」(DKM Admiral Graf Spee) が自沈した[2]。この海戦を、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーのコンビ「パウエル=プレスバーガー」による共同製作・監督・脚本で映画化した作品[3]。出演はピーター・フィンチなど。
撮影に本物の軍艦を使用し、「アキリーズ」は実際にラプラタ沖海戦に参加してシュペー号と砲火を交えた艦艇であり、「カンバーランド」もモンテビデオ沖に増援として派遣され、戦艦シュペー号を自沈に追い込んだ立役者である。戦艦シュペー号(満載排水量約1万6000トン)はアメリカ海軍のデモイン級重巡洋艦「セーラム」(満載排水量約2万1000トン)が演じた。
ストーリー「アドミラル・グラーフ・シュペー (装甲艦)」も参照
ヴェルサイユ条約による軍備制限下、ヴァイマル共和政下で建造されたドイッチュラント級装甲艦(通称ポケット戦艦)[注釈 1]の一隻グラフ・シュペー号は、アドルフ・ヒトラーの政権掌握によりナチス・ドイツの国防軍が運用することになった[5]。第二次世界大戦勃発後の1939年11月15日、シュペー号はポルトガル領東アフリカ沖で英貨物船アフリカ・シェル号を撃沈し[6]、船長のダヴらをとらえる。捕虜たちは、シュペー号の艦長ハンス・ラングスドルフの意向により丁寧に扱われ、のちに補給船「アルトマルク号」に移送された。その後、シュペー号は英国の商船を撃沈するたびに捕虜を載せていき、ついには50人以上の捕虜が乗船している状態となった。
12月12日、シュペー号は南アメリカ大陸ウルグアイのラプラタ川 (Rio de la Plata) 沖にて、ハーウッド提督が率いるイギリス海軍のG部隊(軽巡「エイジャックス」、軽巡「アキリーズ」、重巡「エクセター」)に捕捉された[7]。砲撃戦で損傷したシュペー号はウルグアイのモンテビデオに逃げ込み、乗っていたすべての捕虜を解放して修理をはじめた。ハーグ条約の国際法では24時間以上の在泊は認められないため、ドイツ大使ラングマンと連合国側の大使の駆け引きの末、72時間の在泊の延長が認められた。そして12月17日夕方、シュペー号の大半の乗組員を下船させる形で出港する。そして、ラングスドルフ艦長は、補給船タコマ号に乗船した後、シュペー号を自爆させる。 役名俳優日本語吹替
キャスト
東京12ch版フジテレビ版
ハンス・ラングスドルフ(シュペー艦長)ピーター・フィンチ大木民夫中村正