戦略防衛構想
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戦略防衛構想のロゴ

戦略防衛構想(せんりゃくぼうえいこうそう、英語: Strategic Defense Initiative, SDI)とは、アメリカ合衆国がかつて構想した軍事計画。通称スター・ウォーズ計画。

衛星軌道上にミサイル衛星やレーザー衛星、早期警戒衛星などを配備、それらと地上の迎撃システムが連携して敵国の大陸間弾道弾を各飛翔段階で迎撃、撃墜し、アメリカ合衆国本土への被害を最小限に留めることを目的にした。通称は、これらの兵器を用いる事がスペースオペラ張りであるとして、アメリカ映画スター・ウォーズ』に擬えられたもの。

現在では外交用のハッタリ同然の計画としての評価が一般的で、2016年にそのような評価の特集としてNHK BS1で『BS世界のドキュメンタリー スターウォーズ レーガンのハッタリ』が放送された。
経緯

1980年代、核の均衡は相互確証破壊(MAD)に基づいていたが、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンはこれをよしとしなかった。レーガンは、1983年3月23日夜の演説で、ソ連の脅威を強調すると共に、「アメリカや同盟国に届く前にミサイルを迎撃」し、「核兵器を時代遅れにする」手段の開発を呼びかけ、翌3月24日に開発を命じた。

「SDI演説」の要旨は以下の通りである。

「「助言者達との綿密な検討の末に、私は一つの道があると信じるに至った。我々は今ここに、ソ連のミサイルの脅威に、防御的な手段で対抗するプログラムを開始する。アメリカの安全が、ソ連の攻撃に対する報復によって保たれるのではなく、戦略弾道ミサイルを、我々自身の、また我々の同盟国の国土に達する以前に迎撃し、破壊できると知ったときに初めて、自由な国民は安楽に暮らせるのではないだろうか?」

「これは手強い仕事であり、今世紀の終わりまでには実現できないだろう。だが、技術の進歩は努力を開始しても良いところまで来ている。私は、かつて我々に核兵器をもたらした科学者達に、その偉大な才能を人類と世界平和に向け、それらの兵器を無効にし、時代遅れにするよう求める」

「今宵、我々は人類の歴史の流れを変えることを約束する努力を開始する。我々にはできるのだと、私は信じている。この扉を開くために、あなた方が共に祈り、賛同してくれるよう願ってやまない」」

演説の内容は、アメリカ国防総省高官にさえ、前日まで知らされていなかったと言われる。内外を驚かせた「SDI演説」だったが、決して思いつきで行われたものではなかった。演説以前から陸海空三軍ではそれぞれ独自にレーザー兵器の研究を進めており、一部の議員からもレーザー兵器などによる「領土到達前の迎撃システム」が提案され、公式レポートや勧告書も作成されていた。1981年にはスペースシャトルコロンビア号の打ち上げにも成功。80年代末には年間25 - 40回前後の打ち上げを実現できると見込まれており、宇宙兵器の配備にも目処が立っていた。

演説の中にも織り込まれていたように、基礎的な技術については既に確立しつつあった。「SDI演説」はそれまで個別に進められていた研究を統合・推進し、一気に実用化・実戦配備を目指すという、言わば「決意表明」であり、当時としては十分に勝算あっての宣言だった。

核兵器による破壊の恐怖ではなく、核兵器を無力とすることで恒久的な平和を実現するという構想は、ある意味高い理想に満ちたものだったが、当初から技術的な問題、資金的な問題、宇宙空間の軍事利用に関する法的(宇宙条約)・倫理的な問題、現状の核抑止を不安定にする危険などが指摘された。それでも国防総省や各軍をはじめ、様々な方面から提案がなされ、研究・開発が進められた結果、いくつかは具体的な成果を上げるに至った。

しかしレーガン自身が予言したように、研究はやがて困難に直面する。「見込みのある」、あるいは「敵(ソ連)が保有しうる兵器・技術」の全てに投資する姿勢は、開発費の膨張を招き、個別の研究も技術的困難などから停滞し始める。実戦配備の目処が立たない中、ソ連のゴルバチョフ政権誕生をきっかけとした緊張緩和と軍縮路線が加速。SDI構想は次第に存在意義を失い、冷戦終結と相前後して、自然消滅に近い形で中止された。以後のミサイル防衛は、湾岸戦争を受けてソ連の協力[1][2]も得ながら迎撃の対象と規模を絞り込んだジョージ・H・W・ブッシュ政権下のGPALS(Global Protection Against Limited Strikes / 限定的攻撃に対する地球規模防衛構想)、さらにビル・クリントン政権下ではTMDとNMDへと移行していくこととなる。
日本

1986年9月9日、日本政府は戦略防衛構想の研究への参加方針を通告するとともに、方針の内容を記した当時外相である倉成正の書簡を当時米国防長官キャスパー・ワインバーガー、当時国務次官(政治問題担当)マイケル・アマコストに手渡した。[3]
内容探知実験衛星デルタ・スターの打ち上げLACE(低出力大気補正実験)衛星、いわゆるミラー衛星の実験機
捜索・追跡システム

ブースト段階捜索・追跡システム (Boost Surveillance and Tracking System, BSTS)、宇宙空間捜索・追跡システム (Space Surveillance and Tracking System, SSTS) などからなる。MIRV(多弾頭ミサイル)が展開する前の、敵国上空での探知が求められた。
地上配備防衛

ERINT (Extended Range INTercept、延長射程迎撃弾)は、戦域ミサイル防衛計画の一部で、FLAGE (Flexible Lightweight Agile Guided Experiment) を発展させたものとされた。FLAGEは小型のレーダー誘導ミサイルでミサイルを撃墜する実験であり、現在のミサイル防衛(MD)にも繋がる。FLAGE は1987年にランスミサイルの撃墜に成功している。ERINT は固体燃料を用い、FLAGE よりも高速で飛翔するとされた。

HOE (Homing Overlay Experiment、誘導被覆実験)は、直径4メートルの網によってミサイルを迎撃するというもの。開発は陸軍が担当し、1983年から1984年にかけて4回実験が行われた。最初の3回はセンサーや誘導装置に問題があったために失敗し、最後の1回だけが成功した。

ERIS (Exoatomosphere Reentry-Vehicle System、大気外ミサイル妨害機構)はロッキード社によって開発が行われ、1990年代初頭に2回実験された。しかしながらそれ以降の開発はされていない。この計画の成果は戦域高高度防衛ミサイル(THAAD)や地上配備中間軌道防衛(GMD)に活用された。
光線/粒子線兵器

初期には核爆発を動力源とするX線レーザーによるミサイル迎撃が検討された。これは人工衛星(軌道迎撃衛星)から発射されるもので、通常のレーザーと仕組みは同じであるが、エネルギー源が原子爆弾であるという点で非常に開発が困難であった。1983年に最初の実験が行われているが、核爆発によって計器が破壊されて数値を得ることができなかったため開発が断念された。核動力の実用化には失敗したが自由電子レーザーなどX線レーザーそのものは現在各方面で利用されており、SDI構想もその発展に貢献している。

化学レーザーは海軍と空軍主導で開発が進められた。海軍はSDI構想以前から、艦船に搭載する近接防御兵器としてレーザー兵器を独自に研究していた。これは「シー・ライト計画」と呼ばれており、まず出力0.4メガワットのフッ化重水素レーザー、ベースライン・データ・レーザー(BDL)を完成させ、1979年には対戦車ミサイルBGM-71 TOWの撃墜に成功。続いて出力2.2メガワットの実用プロトタイプMIRACL(Mid-Infrared Advanced Chemical Laser、中赤外線先進化学レーザー)の制作に入る。1980年に完成、1981年には出力試験も終えたが、予算のカットなどもあり、追跡・照準システムも含めた全システムが完成したのは、SDI構想後の1984年だった。


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