戦火の馬
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戦火の馬
War Horse
著者
マイケル・モーパーゴ
訳者佐藤見果夢
発行日 1982年
2012年1月20日
発行元 Kaye & Ward
評論社
ジャンルドラマ
イギリス
言語英語
形態 上製本並製本
上製本
ページ数 192
206
公式サイト ⇒www.hyoronsha.co.jp
コードISBN 978-4-566-02418-2

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『戦火の馬』(せんかのうま、原題:War Horse)は、1982年に出版されたマイケル・モーパーゴによる小説。初版はイギリスのKaye & Ward から出版された。少年アルバートが共に育った馬のジョーイが第一次世界大戦軍馬としてフランスに送られ、アルバートとジョーイが無事に帰宅するまでを物語っている。この小説は2007年に演劇『ウォー・ホース ?戦火の馬?』、2011年に映画『戦火の馬』の基となった。
背景マイケル・モーパーゴ

本作はモーパーゴが住んでいたイングランドデヴォンのイズリー (Iddesleigh) という村の第一次世界大戦退役軍人たちの話が基になっている。デヴォンのヨーマン (自作農民)として馬と共に働き、イズリー村のパブで酔っ払っていた第一次世界大戦退役軍人のウィルフレッド・エリスと出会い、モーパーゴは大戦により世界中が困難に陥っている様子を馬の視点で描こうとしたが、うまくいくかどうか自信がなかった[1]。モーパーゴは第一次世界大戦で騎兵隊に属していた他の村民のバジェット大尉、軍が村に軍需用の馬を買いに来たことを覚えていたアルバート・ウイークスに出会った[2]。騎兵隊とともに戦ったバジェット大尉は、モーパーゴに、いかにすべての希望と恐怖を彼の馬に託したかを語った。エリスとバジェット大尉は彼に大戦における悲惨な状況と人間と動物の生命の喪失を話した。モーパーゴはこれらを研究した結果、イギリス側だけで100万頭の馬が死んだことがわかった。彼は全軍合計で1000万頭の馬が死んだと推定する。イギリスから海外へ送られた100万頭の馬のうち、帰ってきたのはわずか6万2000頭で、残りの馬たちは戦死したかフランスで食肉処理された。大戦はイギリスの男性人口に多大な影響を及ぼした。88万6000人の男性が死に、これは戦争に行ったうちの8人に1人、国全体の人口の2%に当たる[3][4]。モーパーゴはこの3名のおかげで本を書き上げることができた[5][2]

モーパーゴは妻と共に、市内の子供達が地元の農家に1週間泊まり、農作業を体験するチャリティ団体であるFarms for City Children を立ち上げた[6]。2010年12月、BBCラジオ4の『サタデー・ライヴ』でのファイ・グローバルによるインタビューで、モーパーゴはこの本について述べた。

バーミンガムから来たビリーという少年がこの農場に来た時、教師達は彼が吃音症であり、もし話しかけると彼は応えなくてはいけないと怯えさせてしまうので直接話しかけないようにと告げた。最後の夜、彼らが泊まっている農場のヴィクトリア調の大邸宅の後ろにある庭に行くと、スリッパを履いたビリーがランタンに照らされながら馬小屋の扉の前に立ち、話していたのだ。馬に向かい、何度も何度も話していたのだ。馬のヘービーは扉の上に頭をもたげ、話を聞いていた。この馬はここにいなくてはいけないと思っていたに違いない。なぜなら少年が話をしたくて、そして馬はそれを聞いていたかったのだ。私は野菜畑を通って教師達を連れてきて影に隠れ、ビリーが話すのを聞いていた。話すことができなかった子供がすらすらと話していることに皆驚いた。何の恐れもなく、馬と少年の間に親密さと信頼が生まれていることに私は非常に感動し、これで馬の視点から第一次世界大戦の物語を書く自信がついた。そう、馬に話を語らせよう。兵士を通して戦争の話をしよう。まずはイギリス兵で、次はドイツ兵、そして冬の間に馬と過ごすフランス人家族。これで第一次世界大戦で世界中が困難に陥ったことを描ける。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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