『戦国策』(せんごくさく)は、戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に分類し、編集した書物(全33篇)。前漢の劉向の編。「戦国時代」という語はこの書に由来する。 もともと『国策』『国事』『事語』『短長』『長書』『脩書』といった書物(竹簡)があったが、これを前漢の劉向(紀元前77年?紀元前6年)が33篇の一つの書にまとめ、『戦国策』と名付けた[1]。後漢の建安年間に高誘
成立
日本では古くは9世紀後半の藤原佐世『日本国見在書目録』に書名が記録される。江戸時代には広く読まれ、林羅山が訓点本を作成するなど多くの漢学者が校注を施したが、中でも横田惟孝(乾山)の『戦国策正解』[5]が定本となった。[6]
1973年に長沙の馬王堆漢墓・三号墓から出土した帛書(馬王堆帛書)には、『戦国策』の縦横家に関する記述と類似した記述があり、『戦国縦横家書(中国語版)』と名付けられた[7]。墓主の葬は前168年とされるので、劉向の『戦国策』編纂以前の姿が一部見られるようになった[8][9]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
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出典検索?: "戦国策"
戦国時代 (中国)の時代区分については諸説ある。下限を秦の天下統一の年(BC・222)とすることに異見はないが、上限を趙・魏・韓の三国が晋を三分した年(BC・453)とする説と、趙・魏・韓の三国が周の威列王に依って諸侯と認定された年(BC・403)とする説とがこれである。しかしこれらのことは実際何れとも決め難いことであるので、戦国時代とは、一般に春秋時代(BC・722?481)に接続する周王朝末期の二百数十年とされる。また、戦国時代という呼称は、春秋時代が、孔子の著したと言われる史書の名『春秋』、 に因んで附けられたように、「戦国策」という書名に拠って附けられたことも注目すべき点である[10]。
春秋時代を経て戦国時代に入ると、周の封建制度が瓦解し、小国は大国に吸収、併呑され各国が領土の獲得に狂奔し、いたるところで侵略戦争が行われていた。しかし、各国は武力での侵略を極力回避した。なぜなら、武力による侵略では勝敗にかかわらず国力の疲労をもたらし、他国に乗ずる隙を与えるからで、西周、宋、衛などの小国はもとより、秦、斉、楚などの大国も、極力、平和的外交手段により打開しようとした。その一方で様々な思想が生まれ、法家の商鞅や儒家の孔子などの学者、思想家や、また諸国を遊説し外交を論じる縦横家(または遊説家)などに活躍の場を与えた。『戦国策』中で活躍しているのは、概ねこの縦横家(説客)である。 『戦国策』の今ひとつの注目すべき点は、文章が優れていることである。このことは漢代の文豪で大史家たる司馬遷の、史記の文章の祖型は、総て『戦国策』に求め得ると評されたり(ただし、司馬遷は劉向に先立つ時代の人であり、『史記』も『戦国策』の編纂に先立つ)、宋の文豪蘇東坡の雄渾な文章は総て『戦国策』に基づくと批評されていることで判る。更に明代の儒者王党が「弁麗横肆、亦た文辞の最」とたたえ、やはり明代の文学者王世貞が「戦国策は文に聖なる者か。その叙事は則ち化工の肖物なり」と絶賛していることを併せ考えると、古来『戦国策』の文章が如何に高く評価されていたかが一層明らかになる。また、特筆すべきは、司馬遷の『史記』中、戦国時代の人物についての資料は、その十中八九が『戦国策』から求められたとされる。この点から見ると『戦国策』は、自ら歴史たるにとどまらず、資料の宝庫であったこともわかる[11]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
評価
内容
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この『戦国策』の記事は、衛の悼公の起こった周の元年(前476)から秦の始皇帝215年(前222)に六国が滅亡するまでの250余年にわたる、戦国遊説の士の策謀の辞である。
目録
東周策
東周
西周策
西周
秦策
秦一
秦二
秦三
秦四
秦五
斉策
斉一
斉二
斉三
斉四
斉五
斉六
楚策
楚一
楚二
楚三
楚四
趙策
趙一
趙二
趙三
趙四
魏策
魏一
魏二
魏三
魏四
韓策
韓一
韓二
韓三
燕策
燕一
燕二
燕三
宋衛策
宋衛
中山策
中山
日本語訳書籍
常石茂 訳『戦国策』 1?11篇。 平凡社東洋文庫、1966年、ISBN 4582800742
常石茂 訳『戦国策』12?22篇。平凡社東洋文庫、1966年、ISBN 4582800866常石茂 訳『戦国策』23?33篇。平凡社東洋文庫、1967年、ISBN 4582800645。のち各ワイド版、2003年
常石茂 訳 『戦国策・国語(抄)・論衡(抄)』 平凡社〈中国古典文学大系 7〉、1972年 ISBN 978-4582312072。東洋文庫版を改訂、現代語訳のみ
常石訳の底本は、曾鞏33篇本系統の『重刻?川桃氏本戦国策(ジュウコクエンセンヨウシボンセンゴクサク)』同治己巳(1869年)湖北崇文書局刊
沢田正熙 訳 『戦国策』 上・下、明徳出版社〈中国古典新書〉、1968-1969年、新版1984年
ISBN 978-4896192216、ISBN 978-4896192223。