戦争と平和
Война и мир
『戦争と平和』の脚本
監督セルゲイ・ボンダルチュク
脚本セルゲイ・ボンダルチュク
ワシーリー・ソロヴィヨフ
『戦争と平和』(せんそうとへいわ、Война и мир)はロシアの文豪レフ・トルストイの代表作の1つである大河歴史小説『戦争と平和』を映画化した作品。1965年から1967年にかけて公開されたソビエト連邦の歴史映画の4部作であり、戦闘シーンに12万人を超すエキストラが動員されて、セリフのある役が559人の出演者、当時のソ連が国を挙げて国家事業として製作撮影して全4部で上映時間が6時間半を超す超大作の映画である。
監督・脚本・主演はセルゲイ・ボンダルチュク。第4回(1965年)(英語版)モスクワ国際映画祭最優秀作品賞[4]をはじめ、第41回米国アカデミー賞外国語映画賞など、様々な映画賞を受賞している[5]。
この作品は4部構成で製作されたが、日本では第1部と第2部は「第一部」、第3部と第4部は「完結篇」として2つに分け、第一部(210分)は1966年7月23日[6]に、完結篇(177分)は翌1967年11月23日[7]にロードショー公開された。 原作に対して、ピエール、アンドレイ、ナターシャの3人に絞った構成になっており、他の登場人物のエピソードはかなり削られている。「戦争と平和#各章の概要」も参照 1805年のペテルブルクの社交界。ナポレオンのフランス軍は帝政ロシアの国境に迫っていた。ナポレオンびいきのピエール・ベズーホフはベズーホフ伯爵の私生児で、将来の進路を決められないまま、仲間の貴族たちと放蕩生活にふけっていた。しかし、父伯爵が亡くなり、莫大な財産を受け継ぐことになる。勧められるままエレンと結婚するが、妻の放蕩ぶりに悩まされたピエールは、妻の愛人とされるドーロホフと些細なことをきっかけに決闘し、相手に重傷を負わせてしまう。結果、元々財産目当てだった妻・エレンとの夫婦関係は破綻する。一方、ボルコンスキー公爵家の嫡子でピエールの友人であるアンドレイ・ボルコンスキーは、ナポレオンのフランス軍とのアウステルリッツの戦いに赴き、クトゥーゾフ将軍の副官として激戦のなか中隊を率いて戦ったが士気が上がらず、軍旗を掲げて敵中に躍り込んだが負傷して倒れる。その姿を見た敵将ナポレオンは美しい死と讃える。命を取り留めフランス軍の捕虜となったアンドレイは人生の空しさを知る。九死に一生を得て、父のもとへ帰ってきたが、この時彼の子を身ごもっていた妻リーザは正気を失い、出産直前に生還した夫の顔も見分けられぬまま死んでゆく。アンドレイは生きることへの望みを失い、世間から隠れて暮らそうと考える。 前半は原作の第一巻、後半は第二巻第一部に相当する内容になっている。 1810年、ロストフ伯爵の令嬢ナターシャ[注 2]は18歳を迎え社交界にデビューして初めて舞踏会に出席し、アンドレイとワルツを踊り、二人はお互いに一目惚れした。やがてアンドレイはロストフ家を訪れてナターシャに結婚を申し込む。しかし頑迷な父公爵によってナターシャがまだ若いために一年間の猶予がつけられ、アンドレイはその間に外国旅行に出発する。しかし、この一年は彼女にはあまりにも長過ぎた。不安と焦燥にかられるようになった。そんな時に家族とモスクワの劇場で観劇中、エレンの弟のアナトリーと出会い、その熱烈な求愛に負け、外国への駆け落ちを決心する。その企ては姪のソーニャがピエールに伝えて、ピエールがアナトリーをペテルブルクから追放し、そして彼に妻がいることをナターシャに伝えたことで全てが終わった。ナターシャは絶望の余り自殺を図るが幸い未遂に終わり、アンドレイに婚約を取り消す手紙を送る。やがて外国から戻ってきたアンドレイは手紙を彼女に返すようにピエールに頼み込む。
ストーリー
第1部 アンドレイ・ボルコンスキー
第2部 ナターシャ・ロストワ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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