戦争と平和
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「戦争と平和」のその他の用法については「戦争と平和 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

戦争と平和
Война и мир
1869年ロシア版初版
著者レフ・トルストイ
発行日1869年
発行元ロシア語: Ру?сский ве?стник
英語: The Russian Messenger
ジャンル歴史小説恋愛小説戦争文学
言語ロシア語およびフランス語
形態文学作品
前作コサック (小説)
次作アンナ・カレーニナ

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『戦争と平和』(せんそうとへいわ、: Война и мир[1][2])は、帝政ロシア末期の小説家レフ・トルストイが著した長編小説。トルストイが36歳のときに執筆を始め、1865年から1869年にかけて雑誌『ロシア報知(英語版)』(: Ру?сский ве?стник[3])で発表した。サマセット・モームは『世界の十大小説』で「あらゆる小説の中でもっとも偉大な作品」と評している。
概要

19世紀前半のナポレオン戦争の時代を舞台に、アウステルリッツの戦いや、ボロディノの戦いを経てモスクワを制圧するもフランス軍が退却に追い込まれたロシア遠征[4] などの歴史的背景を精緻に描写しながら、1805年から1813年にかけてあるロシア貴族の3つの一族(ボルコンスキー公爵家、ベズーホフ伯爵家、ロストフ伯爵家)の興亡を中心に描き、ピエール・ベズーホフとナターシャの恋と新しい時代への目覚めを点描しながら綴った群像小説である。登場人物の一人ピエール・ベズーホフは、著者の分身と見られ、没落していくロシア貴族から、大地の上で強く生き続けるロシアの農民の生き様への傾倒へと続くピエールの魂の遍歴は、著者の心の動きの反映とも言われる。

本作の執筆当時、ロシアでは、それまで一般的だった古ロシア語に代わり、新たに整備された現代的なロシア語文法が浸透していたが、トルストイを含む上流階級は教養として慣れ親しんだフランス語を日常的に使用[5] していた。作中でも貴族達の会話にフランス語を交えたり、名前を「ピエール」とフランス風に呼ぶ(ロシア風ならピョートル)という、当時のロシア貴族に対するフランス文化の影響も描写している[6]

登場人物は559人に上ると言われる。
主要人物

年齢は1805年時点。
ピエール(ピョートル・キリーロヴィチ・ベズーホフ)
本編の主人公。莫大な財産を持つキリール・ウラジーミロヴィチ・ベズーホフ伯爵の私生児の一人。父に愛され、その財産を継ぐ。フランス帰り。力自慢の偉丈夫。意志が弱く放蕩に耽りやすく、肥満している。
フリーメイソンに加入する。
アンドレイ・ニコラーエヴィチ・ボルコンスキィ
ボルコンスキィ公爵家の長男、27歳の青年士官。ピエールの親友。優秀な実務家。アウステルリッツを含む対ナポレオン戦争に従軍。父ニコライ老公爵の友人クトゥーゾフ将軍の副官などを務め、オーストリア王宮への使者の任にも就いた。
マリヤ・ニコラーエヴナ・ボルコンスカヤ
アンドレイの妹。兄と違い、信心深い。決して美人とはいえないが、美しい瞳を持つ女性。父と共に領地で生活している。
ニコライ・イリーイチ・ロストフ
ロストフ伯爵家の長男。青年士官としてアウステルリッツに従軍する。軟弱な青年だったが、軍に馴染み、成長していく。
ナターシャ (ナターリア・イリーニチナ・ロストワ)
12歳。ニコライ・ロストフの妹。無邪気で天真爛漫な少女。多くの男性を惹き付ける。
ペーチャ(ピョートル・イリーイチ・ロストフ)
8歳。ニコライの末の弟。皇帝に心酔し、1812年ごろ、軍に仕官する。
ソーニャ
14歳。ニコライの又従兄妹で、ロストフ伯爵家の居候。幼少の頃からニコライを一途に愛する。
ボリス
ニコライ兄妹の幼馴染。上昇志向が強い。様々な人脈を駆使して出世を遂げていく。幼い頃はナターシャに恋心を抱いていた。
ワシーリィ・ドミートリチ・デニーソフ
ロシア軍の士官。歴戦の勇士。アウステルリッツ以来のニコライの戦友。ナターシャに求婚するも受け入れられず。
アナトーリ・ワシーリエヴィチ・クラーギン
クラーギン公爵家の次男、ピエールの親戚にして放蕩仲間。享楽的で、数多の浮名を流す。ナターシャを誘惑する。
エレン・ワシーリエヴナ・クラーギナ
アナトーリの妹。絶世の美女にして社交界の花形。兄同様に享楽的な人物で、他者を堕落させる力を有する。財産を欲し、ピエールの妻となる。結婚後も、その放蕩生活は変わらない。
ドーロホフ
アナトーリの友人にして放蕩仲間。アナトーリを金蔓として利用している節がある。対フランス戦にもたびたび参加。活躍は多いが、その気性がたたり、昇格と降格を繰り返している。
実在の人物

ミハイル・イラリオーノヴィチ・クトゥーゾフ
ロシア軍の元帥。該当項目参照。作中での評価は高い。「神の意思を見きわめながら、それに自分の個人の意思を従わせる、数少ない、常に孤独な人間」。
ナポレオン・ボナパルト
フランス皇帝。該当項目参照。優秀な人物として描かれているが、それ以上に「巨大な歯車を前にした英雄の無力」をあらわす好例としての扱いのほうが強い。
アレクサンドル1世
ロシア皇帝。該当項目参照。作中に度々登場するがその描かれ方は没人格的。
各章の概要
第一巻

1805年。ナポレオン戦争を縦糸として展開していく。
第一部
1805年7月、
ペテルブルク(ロシアの首都)の社交界の様子から物語が始まる(この年4月、イギリス、ロシア、オーストリア、神聖ローマ帝国などの対仏大同盟が成立し、ナポレオンとの戦争が目前に迫っている)。フランスから帰ったばかりのピエールと悪友たちは、酔った勢いで警察署長に乱暴を働き、ペテルブルクを追放される。ベズーホフ老伯爵の死が近づいている。遺産を期待していた伯爵令嬢やクラーギン公爵を差し置き、非嫡出子のピエールが遺言状により伯爵家の莫大な財産を相続する。ロストフ伯爵家では、愛国心に燃えたニコライが出征する。ボルコンスキィ公爵家のアンドレイは、妊娠中の妻リーザを領地に残して出征する。
第二部
アンドレイ及びニコライ・ロストフはオーストリア戦線に参加する。アンドレイはクトゥーゾフ元帥の副官として精力的に動く。初陣のニコライは腕を負傷する。
第三部
ピエールはクラーギン公爵の長女エレンと愛のない結婚をする。アウステルリッツの三帝会戦で、アンドレイは負傷して倒れるが、ナポレオンが生きていることに気づき、フランス軍の捕虜とされる。
第二巻

1806年から1811年まで。戦場の描写は少なく、詩的な場面が多い。
第一部:1806年:ニコライの休暇
ニコライ、休暇で戦友デニーソフと共に帰郷。ピエールはエレンの不義を疑い、ドーロホフと決闘し、ドーロホフを倒す。エレンとは別居する。アンドレイ、捕虜生活から領地に帰還するも、妻リーザは出産後に死亡し、ニコールシカ(男児)が遺される。ドーロホフはソーニャに求婚するが、ニコライを愛していたソーニャは拒絶する。ドーロホフは意趣返しにニコライをカード賭博で4万3000ルーブリ負かす。ニコライは父の伯爵に頼み込み、何とか支払った後、軍隊に戻る。デニーソフがナターシャに求婚するも、拒絶される。
第二部
1807年。ピエールは偶然出会ったヨーシフ・アレクセーエヴィチ・バズデーエフに誘われ、
フリーメーソンの結社に入会する。ピエール、領地からの帰路にアンドレイを訪ねフリーメーソンに誘うも、かわされる。デニーソフは、隊の物資不足に悩み、飢えた兵隊を救うために友軍の補給物資を強奪する。ニコライは負傷して野戦病院に入ったデニーソフを見舞い、皇帝の恩赦を得るために奔走するも果たせず。
第三部
1809年5月、ロストフ伯爵家を訪問したアンドレイは、無邪気な少女ナターシャや自然の美しさに触れ、活力を取り戻す。1809年8月、アンドレイ、禿山での隠棲を終え、ペテルブルクへ。スペランスキィと親交を持ち、軍規制定委員会・法律制定委員会の一員になる。1809年11月。ピエール、エレンと同居再開。ボリス、人脈を得る為フリーメーソンに参加。アンドレイ、ナターシャと婚約。父は結婚に反対し、一年間アンドレイが外国で過ごして互いの気持ちが変わらなければ許可する、と条件を出す。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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