我闘雲舞
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プロレスリング我闘雲舞(プロレスリングガトームーブ、英語: Pro-Wrestling Gatoh Move、タイ語: ?????? ???)は、日本女子プロレス団体。かつてはタイにも拠点を置いていた。
団体名の由来

「私たちはよりも高くいたい」に「女の子」を表現する単語としてフランス語で「お菓子」を意味する「GATOH」と英語で「行動する」を意味する「MOVE」を合わせた[1]
概要

さくらえみがムエタイを国技とするタイでプロレス普及のために設立[2]。プロレス自体は日本プロレスWWEなど国外プロレス団体の興行が何度か開催されておりファンは少なからず存在する。一方でタイ出身女子選手は、過去には全日本女子プロレスに留学生として所属していたが、タイにプロレス団体及び選手育成組織がなかったため、女子プロレスラーになるきっかけは掴めても叶えられない状況が続いていた。

2012年1月、さくらがアイスリボンを退団後、タイに移住して日本とタイを行き来しながら、プロレス団体を設立するために奔走する。それと並行して渡航の資金を作るため、JWP女子プロレスの試合会場でフリーマーケットを開催した際に、米山香織がさくらにJWPへ勧誘したところ「JWP・コントラ・タイ行きマッチ」として試合が組まれ、さくらが米山を秒殺して共にタイへ渡航する[2]。さくらがタイ行きに至った理由は「自分で夢を叶えたい、そのために他人と同じことをやっても競争に勝てないから[3]」としているが、なぜタイを選んだかとの問いには「特に意味はない」としている[4]。しかし、タイではアイスリボンの番組が放送されていたため、その影響もあると見られる。なお異国の地でプロレス団体を設立したという点は、さくらの師匠であるビクター・キニョネスと共通している。

5月16日、PRの一環としてMBKセンター前で開催されたムエタイイベント「MBKファイト」で提供試合を行った。5月30日、MBKセンター前で開催されたムエタイイベント「MBKファイト」でタイでのプレ旗揚げを開催。後に予定された4度目の提供試合が中止になった。その後、タイで興行を開催している地下プロレスに参戦。9月6日、タイにある元吉本女子プロレスJd'広報の信包一彦(国際空手道剛柔会泰国支部)が開いている空手道場「桜道場[5]」で旗揚げ戦を開催[6][7]。入団希望者はタイのみならず日本からも募集してタイでプロレス通信教育を開き、さくらから直接指導を受けられるようになっている[8]。練習は桜道場を借りて行っている。興行はリングは使用せずマットを使用している。

12月、TNTが中心となりリングを使用する初のプロレス団体「TWFが旗揚げされて我闘雲舞の選手も参戦している[9]。なおTWFは短期間で解散したため、再びタイ唯一のプロレス団体になっている。目標とされていたタイで育成された選手を日本に送り込むこと(2013年7月15日にケンちゃんが板橋グリーンホール8月9日にE.K.バギーとP-Nutsが市ヶ谷南海記念診療所に参戦している)と逆に、日本でも練習生を募り育成してデビューさせること(2013年2月23日「ことり」がデビュー)は達成されている。最終目標として、さくらは「アジアツアーの実現」、「タイでの巡業」、「テレビ中継」、「プロレスラー希望者殺到」を掲げている[3]
Gatoh Move Japan Tour

さくらと業務提携を結んでいるパブリック・ジョイ・プロダクション支援の下で2012年6月18日、ファンミーティングという形による市ヶ谷南海記念診療所(2013年1月、会場名を市ヶ谷チョコレート広場と命名。過去にアイスリボンが市ヶ谷アイスボックスの名称で興行を開催していた)で日本での旗揚げ戦「Gatoh-meet」を開催[10]。旗揚げにより10月から定期興行化して「Gatoh-Move Japan Tour」に呼称を変更[11]。旗揚げ当初は、さくらの帰国スケジュール(月に1、2回程度)に合わせて1日から4日のシリーズとして組まれていたが所属選手の事情もあり2013年以降は、さくらの所在を問わず原則週1回興行を開催している。開催日は土曜日が主体だが同じく土曜日を中心に興行を開催するアイスリボンとの客層の重複を想定して日程が重なった場合は開催時間をずらす(例としてアイスリボンが夜に開催する日は我闘雲舞を昼に開催している)などして、いわゆるハシゴ観戦に対応している。タイではビザの関係で収入が得られないため[4]、この定期興行を収入源の1つとして位置づけている。

レフェリーとリングアナウンサーはフリー、他団体参戦選手が持ち回りで担当。写真撮影は原則禁止だが月1、2回の写真撮影が認められる興行があり、この興行ではアイスリボン及び、その他のプロレス団体では禁止されている動画撮影も可能となっている。旗揚げ当初、タイ人選手は参戦しなかったが2013年7月1日に短期滞在を目的とするタイ国民に対するビザ免除措置開始[12]により同月よりタイ人選手の来日が実現して以降も随時参戦している。
リングを使用している興行

旗揚げ後の2012年11月から板橋グリーンホールで原則月1回開催するビッグマッチ。ホールの使用料など経費がかかるため当初は開催しない方針であったが里歩の移籍があったため高校受験などでタイでの活動が困難な里歩を「市ヶ谷に閉じ込めておきたくない」と都内で比較的使用料が安い同ホールを選択して、さくらが開催に踏み切った。資金確保のため、さくらが過去に所属していたI.W.A.JAPANの代表である浅野起州が経営している飲食店「お食事処 花膳」に出稼ぎしたり[13]自主制作のCDを販売するなどしている。この興行は「Japan Tour」に含まれている。2012年時点で、この板橋グリーンホール大会が唯一リングを使用する興行となる(リングはJWPから借りる)。また女子選手中心の興行となる。なお写真撮影は試合に限り認められるが動画撮影は禁止。

2013年2月と3月の興行は諸事情により1階でリングを使用せず開催したが4月以降は再び2階で開催している(過去に埼玉プロレスが同様の形態で興行を開催したことがある)。2013年からは板橋グリーンホール以外にも愛知県名古屋市大阪でも興行を開催するがいずれもリング常設試合会場での興行となる。

リング練習は(さくらが最初に入団テストを申し込んだ)LLPW-X道場「LLPW-Xプロレスバンク」で行っている[14]
日本とタイ以外での活動

我闘雲舞は日本とタイ以外の国へも活動範囲を拡げている。旗揚げ後にイギリスの女子プロレス団体「プロレスリングEVE」との間で定期的に相互参戦。さくらは米山とともに遠征した際にEVE王座を奪取して日本で防衛戦も挙行されている。遠征スケジュール次第ではEVE以外のプロレス団体に参戦することもある。またイギリスでもスカウト活動を展開してタイでの興行ではヨーロッパの男子選手も参戦している。
アイドルユニット「ガトームーブ」としての活動

2014年11月2日、板橋グリーンホール大会で、さくらを破りIWA三冠統一王者になった里歩が「本格的にアイドル活動を行います!」と宣言。アイドルユニットとしての活動の際は「ガトームーブ」とカタカナ表記となる。所属選手が中心メンバーであるが女子プロレスラーではないメンバーも参加可能となっている。12月14日、SOUND MUSEUM VISIONで開催した「オトカルランド Round .01」でアイドルデビュー。12月28日、クリエイティブスタジオで初のワンマンライブを開催。初の所属選手以外のメンバー「時雨」を御披露目。

2016年3月23日、HOLIDAY SHINJUKUで開催された鬼塚真紀の主催イベントで練習生だったアーサ(現:アーサ米夏)が加入。
チョコレートプロレス(チョコプロ)

コロナ禍において観客を入れての大会が開催不可能となったことをきっかけにスタートした、YouTube Liveを活用した我闘雲舞の別ブランド大会。通称は「チョコプロ」。モットーは「チョコレート一粒分の幸せ」。我闘雲舞の大会とは異なり、大会はすべて無観客にて行われる。2022年時点での大会開催は、主に土日祝日の午前10時(日本時間)からであり、これは日本だけでなく海外(主に北アメリカ)の視聴者も意識しているため。大会はYouTube視聴環境があれば誰でも無料で観戦ができる。市ヶ谷チョコレート広場を会場としたマットプロレスだが、新木場1stRINGでのリングを使った大会も行われている。

2020年3月28日に行われた配信第1回目での対戦カードは、鈴木みのるvsバリヤン・アッキのシングルマッチ。当時は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い有観客でのプロレス興行が軒並み中止・延期となっていたため、鈴木みのるにとっては1ヶ月ぶりのプロレス大会への出場となった[15]

レフェリーやリングアナウンサー、ライブ配信のカメラマン&実況はその日の大会出場選手がほぼ兼任する。


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