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出典検索?: "我が道を往く"
ボブ・ディランの楽曲「我が道を行く」とは異なります。
我が道を往く
Going My Way
ポスター(1944)
監督レオ・マッケリー
脚本フランク・バトラー
フランク・キャヴェット
原案レオ・マッケリー
製作レオ・マッケリー
出演者ビング・クロスビー
リーゼ・スティーヴンス
バリー・フィッツジェラルド
音楽ジェームズ・ヴァン・ヒューゼン
ロバート・エメット・ドーラン
撮影ライオネル・リンドン
編集ルロイ・ストーン
配給パラマウント映画
公開 1944年5月3日
1946年10月
上映時間130分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
興行収入650万ドル(当時)
次作下記参照のこと
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ビング・クロスビー(左)とバリー・フィッツジェラルド
『我が道を往く』(わがみちをゆく、Going My Way)は、1944年製作のアメリカ映画。パラマウント映画製作。
第17回アカデミー賞では作品賞をはじめ、その年の最多となる7部門を獲得した(後述)。また、米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿へ2004年に登録した。
マルクス兄弟の不条理コメディから、人間味あふれる人情派のコメディ、そしてヒューマニズムあふれるドラマまで、レオ・マッケリーは守備範囲の広い職人監督であった。自分自身が作り上げた物語で、単なる歌が巧くて大根役者だと思われていたビング・クロスビーから良い演技を引き出し、オスカーを獲らせた。何のアクションも派手な見せ場もない若い神父と老神父のやりとりを中心に、物静かな語り口のうまさによって、オスカーを大量に受賞したのであった。 ニューヨークの下町にある古びた教会、セント・ドミニク。老神父フィッツギボン(バリー・フィッツジェラルド)は、廃屋寸前の建物と周囲の劣悪な環境に、最近はあきらめ顔である。 そこへ副神父として派遣された若いオマリー(ビング・クロスビー)がやってきた。口うるさい老婆と家主の喧嘩をなだめ、街のギャングたちには芝居の券を配り楽しみ方を教え、不良少年たちには合唱を教え込み合唱隊を作る。ついでに、幼友達のオペラ歌手リンデン(リーゼ・スティーヴンス)が教会の財政難を救ってくれて、フィッツギボンとオマリーは大喜び。
ストーリー