成都市
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中華人民共和国 四川省 成都市
『窗に含む西嶺千秋の雪』(杜甫)『窗に含む西嶺千秋の雪』(杜甫
略称:蓉
別称:錦官城、蓉城



四川省中の成都市の位置四川省中の成都市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯30度39分49秒 東経104度04分00秒 / 北緯30.66361度 東経104.06667度 / 30.66361; 104.06667
簡体字成都
繁体字成都
.mw-parser-output .jis2004font{font-family:"源ノ角ゴシック JP Normal","源ノ角ゴシック JP","Source Han Sans Normal","Source Han Sans","NotoSansJP-DemiLight","Noto Sans CJK JP DemiLight","ヒラギノ角ゴ ProN W3","ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN","メイリオ",Meiryo,"新ゴ Pr6N R","A-OTF 新ゴ Pr6N R","小塚ゴシック Pr6N M","IPAexゴシック","Takaoゴシック","XANO明朝U32","XANO明朝","和田研中丸ゴシック2004絵文字","和田研中丸ゴシック2004ARIB","和田研中丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシック2004絵文字","和田研細丸ゴシック2004ARIB","和田研細丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシックProN",YOzFont04,"IPA Pゴシック","Yu Gothic UI","Meiryo UI","MS Pゴシック";font-feature-settings:"jp04"1}?音Chengd?
カタカナ転写チェンドゥ
国家 中華人民共和国
四川
行政級別副省級市
政府所在地武侯区
市委書記施小琳
市長王風朝
面積
総面積14,312 km²
海抜500 m
人口
総人口(2017)1607.47 万人
経済
GDP(2019)17012.65億(中国本土第7位)元
電話番号28
郵便番号610000
ナンバープレート川A、川G
行政区画代碼510100
市樹銀杏
市花フヨウ
公式ウェブサイト: ⇒http://www.chengdu.gov.cn/

成都市

中国語 成都
文字通りの意味Chengdu

発音記号
標準中国語
漢語?音Chengd?
ウェード式Ch'eng-tu
IPA[t???̌?tú] ( 音声ファイル)
注音符号?????
その他官話
四川?音Cend?si ([ts??n??tu?])
呉語
ローマ字zen平tu平
粤語
粤?sing4dou1
?南語
?南語白話字Seng-to

成都市の位置成都市のパンダ東湖公園安順廊橋大慈寺東大街成都市の地下鉄望江楼成都遠洋太古里成都市の木 銀杏(四川大学)成都市の花 フヨウ

成都市(せいと-し/チェンドゥ-し、簡体字中国語: 成都市、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Chengd?、英語: Chengdu)は、中華人民共和国四川省の省都。副省級市

秦によって灌漑された成都平原の中にあって『天府の国』と自称してきた。中唐の時代から天下二番目の蜀錦を産出するため「錦城」の別名を自称、またいつからか芙蓉(古くは芙?の方を指した)を市花とするところから「蓉城」の別称を加えた。
地理

成都平原にあり、岷江支流の錦水を江と呼ぶ。西部には龍門山脈が西嶺として杜甫の詩歌に載っている。重慶と並ぶ中国西南部の要衝である。

天府国際金融中心

人民南路

成都国際金融中心

成都シャングリラ・ホテル(錦江)

歴史

市区北側30キロの広漢では、薄らな青銅製の仮面よりも揺銭樹で人気な数千年前の割拠の遺跡である三星堆遺跡が発掘されている。

三国時代には、蜀漢政権の中央となったほか、304年、巴?族の流民起義のなかで李雄が占領して成都王を称し、成漢を建てたが幾代も伝わぬうちに東晋が殺戮して取った。五代十国時代には前蜀後蜀の都と先後して中央の混乱に乗せて後唐、後漢の合間を縫った。

代に揚州についで成都は、益州があくまで江南につぐ温暖な地方で水運が開け、末にあたるはずの戦乱が隋が滅亡する前にすでに諸侯王の整頓で及んだため、運良く発展した。特産品としては、と紙が存在したが蜀繍は荒い。蜀絹は上等なものは蜀錦として知られた。また、成都では毎年春に『蚕市』と呼ばれる市が城内各地に立てられ、人々は群がったと伝えられるがこれは軽工業の萌芽期にあって特に成都に限ったことではないはずである。便箋紙の産地として知られていた。特に、『薛濤箋』という中唐の校書伎女の名を冠した紙は有名であった。当時の人口は約50万人(長安は100万をはるかに上回る)を数えていたと思われ、揚州とくらべ成都は商業都市としての発展が安史の乱での奮起でも自明なごとく遅れる。『一揚二益』と言われ、玄宗皇帝が避難した安史の乱[注釈 1]後は文人たちの隠居の場として知られていた。

代に成都府(名前の初見)の商業が発展し、以後南南西部の経済中心となる。代には四川布政使が駐在し、代はじめの1654年、四川布政使司が四川省に改称され、正式に四川省が成立した。また明末期の農民反乱軍の首領で大西皇帝を称した張献忠の拠点となったが、張献忠による人口の9割を超えるほどの殺戮(6億に及んだとは考えづらい)と、清初期の抵抗運動や軍の反乱などにより清前半までは荒廃が続いた。以後、約100年をかけて湖北省湖南省広東省などから積極的に移民を受け入れ復興させたという。

1906年、ヨーロッパとアメリカの宣教師が四川省に西中国教育連合(WCEU)を設立し、すべての四川省人をプロテスタントキリスト教に改宗させることを目指した。

1917年、カナダ医師のアシュリー・リンジー博士(Ashley Woodward Lindsay、1884年?1968年)は成都に華西医科大学に8年制の歯学部を設立し、中国初の口腔医学の発祥の地とした。博士は、1907年トロント大学歯学部を卒業し、1917年に華西医科大学歯科医院を設立、1950年に帰国した。教職員のほとんどは、英国のケンブリッジとオックスフォード、カナダのトロント、米国のハーバードとイェールなどの出身であった。2000年四川大学と合併し、四川大学華西中国医療センターになった。同医療センターは、中国の成都にある一流の世界クラスの医学の公的研究機関となっている(2018年クアクアレリ・シモンズQS世界大学ランキングで世界大学ランキングで33位)。

1928年に国民政府は成都市を成立させ、四川省の省会(省政府所在地)とした。

1949年に成都が解放されると、川西行署所在地となり、1952年に四川省は復活、成都も省会に復した。1989年副省級市に昇格。

1982年には国家歴史文化名城に指定されている。また2000年に始まった西部大開発の拠点都市として経済も活性化している。


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