成蹊高等学校_(旧制)
[Wikipedia|▼Menu]

成蹊高等学校
創立1925年
所在地
東京府北多摩郡武蔵野村
廃止1950年
後身校成蹊大学
成蹊中学校・高等学校
同窓会成蹊会

旧制成蹊高等学校(きゅうせいせいけいこうとうがっこう)は、1925年大正14年)2月、東京府北多摩郡武蔵野村(現在の東京都武蔵野市)に設立された私立旧制7年制高等学校である。目次

1 概要

2 沿革

2.1 設立の背景

2.2 進学状況

2.3 新制学校への継承

2.4 年表


3 歴代校長

4 校地の変遷と継承

5 著名な出身者

5.1 政治・行政

5.2 法曹

5.3 実業

5.4 学術

5.5 文化


6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

概要

教育者の
中村春二が設立した成蹊学園を設置者(経営母体)に、改正高等学校令により設立された。私立の旧制高等学校としては(旧制)武蔵高等学校に次いで2番目の設立である。

旧制中学校に相当する修業年限4年の尋常科、大学予科相当の文科・理科からなる3年の高等科が設置された7年制旧制高等学校である。

現在の新制成蹊大学および新制成蹊中学校・高等学校の構成母体となった。

沿革 旧・成蹊高等学校校舎 / 現存する旧制高校時代の建造物の一つ。
設立の背景

成蹊高等学校は、明治末期?大正期の教育者である中村春二が、三菱財閥総帥の岩崎小弥太、今村銀行(第一銀行と合併)頭取の今村繁三の協力を得て創設した私塾「成蹊園」を源流に、1912年明治45年)4月に設立された「成蹊実務学校」を母体として設立された。中村が設立を目前にして1924年に死去したため、成蹊高校の設置者(経営団体)となったのは、中村が1919年大正7年)に設立した財団法人成蹊学園(現在の学校法人成蹊学園)である。成蹊高校開校にあたり、三菱合資会社(後に三菱本社)社長であり、成蹊学園初代理事長だった岩崎小弥太が多大な支援を行い、実務学校の所在地であった池袋からの移転先として現在地の吉祥寺を選定するとともに、当地に所有していた1万余坪の農園と、新たに購入した隣接する8万余坪の広大な土地を併せ、個人的に成蹊学園に寄附した。
進学状況

成蹊高校は官立校が多かった旧制高等学校のなかで、全国でも4校しかない私立の7年制(尋常科4年+高等科3年)旧制高校の一つであった。設立当初の学級定員は1学級30名とし、尋常科は1学年1学級、高等科は文科・理科に分かれ1学年各1学級から構成されるなど、少数教育重視の方針を取っていた。このうち高等科は履修する第1外国語により、文科甲類(英語)・文科乙類(ドイツ語)・理科甲類(英語)・理科乙類(ドイツ語)と細分された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef