成賢(じょうけん/せいけん、応保2年(1162年)- 寛喜3年9月19日(1231年10月16日))は鎌倉時代前期の真言宗の僧。藤原南家の出身で、中納言・藤原成範の子。遍智院僧正、宰相僧正と称された。 若くして醍醐寺の叔父勝賢に師事して諸経論を学び、文治元年(1185年)に三宝院に入り、11月勝賢より灌頂を受ける。建久4年(1193年)、勝賢の権僧正辞退にかわり権律師に任ぜられ、正治2年(1200年)には権少僧都に進む。建仁3年(1203年)に醍醐寺座主に補任された。元久2年(1205年)に座主を持して良海
略歴
成賢は生涯に御修法を39度にわたって行い、秘法を修すれば常に法験を示したという。門弟らもその褒賞により僧官を与えられた。寛喜3年9月19日(1231年10月16日)、遍智院で入寂。享年70。藤原定家は成賢を「天下の富人」と評している[1]。著作に、『薄双紙
』や『遍口鈔』、『結縁灌頂私記』などがある。四十人あまりの弟子があったが、特に道教、深賢、憲深、慈教は四傑と呼ばれてそれぞれ家風を起こし、これらは総じて成賢流と称された。
脚注^ 『明月記』寛喜3年9月20日条。
参考文献
武内孝善「成賢」(吉川弘文館『國史大辭典 7』、1986年)
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