成田街道
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成田街道(なりたかいどう)は、水戸街道新宿東京都葛飾区新宿)から分岐して、千葉県船橋市佐倉市を経由して成田山新勝寺成田市成田)に至る街道である。別称として「水戸佐倉道」がある。

街道

成田街道(水戸佐倉道)
総延長52.5 km
起点東京都葛飾区新宿2丁目
主な
経由都市江戸川区千葉県市川市船橋市
八千代市佐倉市印旛郡酒々井町
終点千葉県成田市成田
接続する
主な道路
記法)行徳道
東金御成街道
佐原街道
銚子街道
国道6号水戸街道
国道14号房総往還
国道296号
国道16号(東京環状道路)
国道51号千葉佐倉道
国道409号
国道464号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
目次

1 概要

2 宿場

3 途中の市町村

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典


5 関連項目

6 外部リンク

概要 千葉県道路愛称名における成田街道の始点付近(船橋市前原西1丁目「成田街道入口」交差点) 上記の写真の右手にある東金御成街道の分岐点を示す成田街道道標

成田街道(なりたかいどう)は、江戸時代に確立した街道であり、水戸街道新宿(にいじゅく)から分岐して、舟(船)橋や佐倉藩を経由して成田山新勝寺に至っていた。現在は千葉県道路愛称名により国道296号船橋市前原西の「中野木交差点」[注釈 1]から印旛郡酒々井町本佐倉「酒々井交差点」と、国道51号の酒々井町本佐倉「酒々井交差点」から成田市寺台の「寺台インター」までの区間を指し示す[1][2]。ただし、この成田街道は江戸時代後期に成田山参詣が盛んになってからの愛称であり、江戸幕府の公式文書では「佐倉街道」(江戸城譜代の大藩佐倉藩を結ぶ街道の意味)と呼称された。

酒々井宿からは多胡藩(現在の香取郡多古町[注釈 2]佐原八日市場方面へ向かう多古街道が整備されており、成田山新勝寺に向かう道(つまり成田街道)はその支線であった事に注意を必要とする。なお、別称の「水戸佐倉道」は、水戸街道から分岐することから由来する。道中では、江戸川区北小岩3丁目付近で行徳道、船橋市本町4丁目付近で東金御成街道、同市宮本5丁目で「船橋大神宮下」交差点で房総往還、同市習志野台4丁目付近で実籾街道印旛郡酒々井町上本佐倉「上本佐倉(県道76号側)」で千葉佐倉道成田市成田山新勝寺付近で佐原街道と接続している。

このほか、水戸街道我孫子宿から分岐して利根川沿いを通過し、安食銚子街道と分岐して成田山新勝寺へ向かう道も同名で呼ばれた。現在は国道356号県道18号成田安食線(松崎街道)の一部になっている。
宿場

市川宿(千葉県
市川市

八幡宿(市川市)

船橋宿(船橋市

大和田宿(八千代市

臼井宿(佐倉市

酒々井宿(酒々井町

寺台宿(成田市

途中の市町村

船橋市

八千代市

佐倉市

酒々井町

成田市

脚注

[脚注の使い方]

注釈^ 本来は、その名の通り「成田街道入口」からであり、「中野木」から「成田街道入口」までは東金御成街道千葉県道69号長沼船橋線)である。
^ 承平天慶の乱に際して天慶2年(939年)に、現在の横芝光町に下向した寛朝僧正が翌天慶3年(940年)公津ヶ原で祈祷をしたのが成田山新勝寺の起源である。

出典^ “道路愛称名”. 千葉県 (2010年12月16日). 2013年4月4日時点の ⇒オリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年4月8日閲覧。
^ “ ⇒成田街道 (PDF)”. 千葉県. 2013年4月8日閲覧。

関連項目

千葉県道路愛称名

佐倉街道

千葉県道77号富里酒々井線 - 現在の国道51号・296号整備以前の酒々井からの直進部分。

成田屋

小金牧 - 下野牧を横切る。

習志野


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