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出典検索?: "成瀬正孝"
なるせ まさたか
成瀬 正孝
本名成瀬 正孝[1]
別名義成瀬 正(なるせ ただし)
成瀬 正伍[2]
生年月日 (1950-02-27) 1950年2月27日(74歳)
出生地 日本・長崎県
身長176 cm
血液型A型
職業俳優
ジャンル映画・テレビドラマ
活動期間1969年 -
配偶者あり
主な作品
映画
『女番長ゲリラ』
『将軍家光の乱心 激突』
『鉄と鉛』
『凶気の桜』テレビドラマ
『愛のホットライン』
『おしん』
『静かなるドン』
『密命 寒月霞斬り』
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成瀬 正孝(なるせ まさたか、1950年2月27日[1][3] - )は、日本の俳優。長崎県出身[1]。1970年代半ばから1980年代後半までは成瀬 正(なるせ ただし)名義で活動していた[2]。東映俳優センター[1]、沢井プロダクション、ステージドア、柊企画を経て、ファインステージに所属。 1969年、第13期東映ニューフェイスとして東映へ入社(同期は片桐竜次、女屋実和子、岩本良子)。 デビュー当時は主演女優の相手役に抜擢(ばってき)されるなど二枚目のホープだったが、「ピラニア軍団」に加入して以降、1970年代の実録映画に多数出演。 1989年の『将軍家光の乱心 激突』では、将軍の跡継ぎを警護する7人の浪人にキャスティングされ、殺陣や乗馬を披露し、代表作のひとつとなった。 1995年より所属していた芸能事務所「沢井プロダクション」では、同事務所の俳優養成所にて演技講師も務めていた。
来歴
人物
渡瀬恒彦とはプライベートでも親友で、「俺」「お前」と呼び合っている仲であった。
趣味はゴルフ[3]。特技は乗馬[3]、柔道(二段)[1][3]。
愛煙たばこの銘柄は、タール12mgの赤色のラーク(通称:赤ラーク)。
出演
映画
関東兄弟仁義 仁侠(1971年、東映)
日本女侠客伝 血斗乱れ花
女番長ブルース 牝蜂の逆襲(1971年、東映)
現代やくざ 血桜三兄弟(1971年、東映) - 敏
懲役太郎 まむしの兄弟(1971年、東映)
まむしの兄弟 お礼参り(1971年、東映)
徳川セックス禁止令 色情大名(1972年、東映)
温泉スッポン芸者(1972年、東映)
女番長ゲリラ(1972年、東映)
恐怖女子高校 女暴力教室(1972年、東映) - 聖光女子学園 3年4組担任 吉岡敬一(新人教師)
恐怖女子高校 アニマル同級生(1973年、東映) - 梶村政男
不良姐御伝 猪の鹿お蝶(1973年、東映) - 柊修之助
現代任侠史(1973年、東映) - 植村
仁義なき戦い 代理戦争(1973年、東映) - 村岡組組員 助藤信之
仁義なき戦い 頂上作戦(1974年、東映) - 山守組槇原組組員 的場保
仁義なき戦い 完結篇(1974年、東映) - 天政会武田組組員 丸山勝
まむしの兄弟 二人合わせて30犯(1974年、東映)
山口組外伝 九州進攻作戦(1974年、東映) - 木原保
唐獅子警察 (1974年) - 三条宏
極道VSまむし (1974年) - 高村角三(清吉の子分)
あゝ決戦航空隊 (1974年) - 江島欣一
極道VS不良番長 (1974年)
新仁義なき戦い(1974年、東映) - 難波組組員 鈴木
県警対組織暴力(1975年、東映) - 大貫良平
暴動島根刑務所(1975年、東映) - 舟律惣市
極道社長(1975年、東映) - ヒロシ
新仁義なき戦い 組長の首(1975年、東映) - 大阪の刑事
実録外伝 大阪電撃作戦(1976年、東映) - 津田
玉割り人ゆき 西の廓夕月楼(1976年、東映) - 上原
新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年、東映) - 大阪 米元組組員 吉田春吉
沖縄やくざ戦争(1976年、東映) - 赤嶺保
暴走パニック 大激突(1976年、東映) - 警官
やくざの墓場 くちなしの花(1976年、東映) - 町永
やくざ戦争 日本の首領(1977年、東映) - 木村利夫
女獄門帖 引き裂かれた尼僧(1977年、東映)