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東京都世田谷区の「成城学園中学校高等学校」とは異なります。
成城中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分55.5秒 東経139度43分22.6秒 / 北緯35.698750度 東経139.722944度 / 35.698750; 139.722944
成城中学校・高等学校(せいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区原町にある、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
2018年度まで併設混合型中高一貫校であったが、2019年度入試より高校募集を停止し完全中高一貫校となった[1]。
概要旧校舎「日本体育会発祥之地」碑(2009年6月)
1885年(明治18年)創立の伝統校。日高藤吉郎、河村隆実といった旧士族らが皇室の恩恵を受け文武講習館として創立。創立当初は陸軍士官学校・陸軍幼年学校への全寮制予備校として、全国から集う陸軍軍人志望者に予備教育を施し、数多くの高級軍人を輩出した。
学校創立時の届出書には「本校ハ陸軍武学生徒入学ノ予備学科ヲ教授スル所トス」と記されており、1945年までの陸軍士官学校への進学率は全国トップであった。
1886年の8月に成城学校と改称、中学校令の発布により旧制中学としての形態が整えられた。日本の学校で初めて臨海学校、林間学校を開設し、現在も毎年中学にて実施されている。陸軍と縁が深いこともあり、現役の陸軍将校が教員として配置され教鞭をとることもあった。川上操六校長時は、山縣有朋や三条実美を名誉補助員として招聘。戦前は留学生の受入れにも積極的で、清国や朝鮮などからの留学生を多数受け入れ、その卒業生の多くは帰国後、時の指導者として活躍した。
現在の敷地は、江戸時代は紀州新宮藩水野家の下屋敷であったが、明治期に後の校長を務めた日露戦争の英雄、陸軍大将児玉源太郎らの尽力により宮内省から下賜されたものである。
「成城」という名は、詩経大雅篇にある、「哲夫成城」に由来する。「哲夫」とは智徳の優れた男子のことであり、哲士、哲彦ともいう。成城の城は国を指し、国を成すの意。すなわち、知達の士は国家を興隆させる者であることをいったもの。校章の三光星は「知・仁・勇」を表す。
世田谷区の成城学園は、戦前に本校より分離独立した学校法人である(下記参照)。9代校長の澤柳政太郎が成城学校内に付設した成城小学校が成城学園の起源。これが現在の世田谷区に移転し、後に成城学園として分離独立した。したがって、成城学園は創立時には成城学校を母体としていたが、分離独立後は別個の学校である(成城大学は成城学園の大学であり、成城高校は成城大学の附属高校ではない)。
日本体育会(現:日本体育大学)とは創立者(日高藤吉郎)を同じくしており、学校間の関係はないものの、日高が死去した際は合同葬儀を実施した。校舎敷地内には「日本体育会発祥之地」なる記念碑が建立されている。
制服は男子校の伝統でもある金ボタン5個の黒学ラン(標準型学生服)。設備は人工芝のグラウンドを有するほか、温水プール、カフェテリア(食堂)などがある。
沿革
1885年(明治18年)1月15日 - 文武講習館として中央区築地に創立され、軍人志望の少年の養成にあたる。
1886年(明治19年)8月 - 成城学校と改称し、幼年科、青年科を設置。陸軍士官学校・陸軍幼年学校への予備教育を施す。
1891年(明治24年)
8月 - 創立者日高藤吉郎が成城学校敷地内に体育会(後の日本体育会)を設立する。
9月 - 宮内省(のちの宮内庁)より現在の牛込原町の校地を下賜され、移転する。
1917年(大正6年)1月 - 私立成城中学校と改称。
1918年(大正7年)7月 - @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本で初めての[要出典]林間学校を長野県中房温泉で開設した。
1922年(大正11年)4月 - 成城第二中学校併設。
1925年(大正14年)7月 - 日本で初めての臨海学校を神奈川県三浦郡初声村(現:三浦市初声町)に開設した。
1929年(昭和4年)4月 - 第二中学校は世田谷区に移転し、成城学園の運営となる。
1948年(昭和23年)4月 - 成城中学校・高等学校と改称した。
1955年(昭和30年)4月 - 牛込成城幼稚園を併設した。
2014年(平成26年)7月 - 新校舎新築工事が完了。
2015年(平成27年)1月15日 - グラウンドの人工芝生化、サブグラウンド(テニスコート・旧西校舎の位置)、部室棟が完成。
学校行事
4月 - 入学式、新入生オリエンテーション
5月 - 春季校外課業(中学1年生の場合、1泊2日の宿泊行事になりやすい。中学2年生と3年生は日帰り、高校生は1泊2日の場合がほとんど)
6月 - 視聴覚行事(狂言、ミュージカル、落語、オペラ、ジャズ、舞台鑑賞など)
7月 - 体育祭(高校)、岩井臨海学校(中1・3泊4日、高校2年生の一部が補助員として参加)、林間学校(中2・2泊3日)
9月 - 文化祭
10月 - 運動会(中学)
11月 - 森林公園マラソン大会、視聴覚行事
12月 - スキー学校(中学2年生の希望者のみ)
1月 - 創立記念日(1月15日)
2月 - 中学入学試験
3月 - 修学旅行(中学3年・高校2年)、卒業式
部活動
運動部 - (高校)硬式野球、(中学)軟式野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール、ハンドボール、硬式テニス、(高校)山岳、卓球、柔道、剣道、陸上競技、体操、水泳、(高校)自転車競技、(高校)ラグビー、相撲
文化部 - 科学、放送、美術、地理研究、演劇、写真、吹奏楽、囲碁、合唱、鉄道研究、速記、ジャグリング
同好会 - 釣り、将棋、スキー、数学研究、古典ギター、歴史研究、文芸
歴代校長
日高藤吉郎(初代:1885年1月 - 1886年4月、日本体育会創立者)
柳生房義(2代:1886年4月 - 1886年7月、陸軍大尉)