戎州
[Wikipedia|▼Menu]

戎州(じゅうしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から宋代にかけて、現在の四川省宜賓市一帯に設置された。
概要

南朝梁のとき、戎州が立てられた。州治は?道県に置かれた。

大業初年、戎州は?道・?為南渓開辺の4県を管轄した。607年(大業3年)、州が廃止されて郡が置かれると、戎州は?為郡と改称された[1]

618年武徳元年)、唐により?為郡は戎州と改められ、?道・?為・南渓・開辺・存?の5県を管轄した。742年天宝元年)、戎州は南渓郡と改称された。758年乾元元年)、南渓郡は戎州の称にもどされた。戎州は?道・義賓・南渓・開辺帰順の5県を管轄した[2]

967年乾徳5年)、北宋により開辺・帰順の2県が廃止された。戎州は梓州路(後の潼川府路)に属し、?道・南渓の2県を管轄した。1114年政和4年)、戎州は叙州と改称されたが、?道県は宜賓県と改称された[3]
春秋時代の戎州

本節では、春秋時代に現在の山東省曹県の東南にあった戎州について述べる。春秋時代の戎人の邑であった。紀元前478年荘公が戎州を破壊した。荘公は石圃の攻撃を受けて、戎州の己氏のもとに逃げ込んだが、己氏に殺害された[4]
元の戎州

本節では、元代に現在の四川省興文県一帯に設置された戎州について述べる。1285年至元22年)、元により大?都総管を戎州に昇格された。戎州は馬湖路に属した[5]1371年洪武4年)、により戎州は戎県に降格された。1574年万暦2年)、戎県は興文県と改称された[6]
脚注^隋書』地理志上
^旧唐書』地理志四
^宋史』地理志五
^春秋左氏伝』哀公十七年
^元史』地理志三
^明史』地理志四










隋朝の行政区分

 606年大業2年)以前(州制)

雍州地区

雍州

同州

岐州



寧州

敷州

綏州

延州

慶州

原州

夏州

塩州

霊州

勝州

豊州

秦州

渭州

蘭州

河州

廓州

?州

涼州

甘州

瓜州

梁州地区

梁州

金州

遷州

巴州

通州

渠州

成州

?州

宕州

武州

扶州

鳳州

興州

利州

竜州

会州

始州

綿州

梓州

隆州

遂州

?州

渝州

信州


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:79 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef