懸賞_(相撲)
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大相撲の懸賞(おおずもうのけんしょう)は、大相撲の取組で勝利した力士に授与される金銭のことである。同時にその懸賞旗を掲げ「広告」を行うことそのものも指す。
概説

2019年(令和元年)9月場所以降、幕内力士の場合1回の取組で1本につき7万円[1]が協賛する企業団体から提供される。政治利用を避けるため、個人名義の申し込みは認められていない[2][3]1991年(平成3年)5月場所から2014年(平成26年)3月場所までは1本が6万円、2014年(平成26年)5月場所から2019年(令和元年)7月場所までは1本が6万2000円だった[4]。申し込みは原則として取組5日前まで、取組指定は取り組み前日(千秋楽除く)の14時までを期限とする。

懸賞金7万円のうち、1万円は日本相撲協会の事務経費(取り組み表への掲載費、会場内の懸賞提供アナウンス費及びその際の企業・団体名含め15字以内のキャッチコピー費)として、3万円は納税充当金[注 1]として日本相撲協会が獲得者本人名義の預り金として天引きするので、勝利力士は勝ち名乗りに際し懸賞1本当たり手取りで現金3万円を受け取る[4]

現金が包まれている熨斗袋(封筒)は東京の麻布十番にある長門屋商店で制作されている。

場内アナウンス例

特定のアナウンスだけが長くならないよう、公平に扱う観点から、15字以内に限られている[4]

単数「この取組には、フリー百科事典のウィキペディアから、懸賞があります。」

複数(2つの場合)「この取組には、フリー百科事典のウィキペディア、並びに、誰でも記者になれるウィキニュースから、懸賞があります。」

複数(3つないしそれ以上の場合)「この取組には、フリー百科事典のウィキペディア、誰でも記者になれるウィキニュース、並びに、投稿・編集自由な辞書のウィクショナリーから、懸賞があります。」

取組に懸賞金がかけられた場合、仕切中に土俵の回りを呼出スポンサーの企業名や商品名が書かれた懸賞旗を持って回る。この懸賞旗は、スポンサーを希望する企業が蔵前東京都台東区)にある専門業者に依頼して制作。その後、相撲協会に持ち込むことになっている[3][4]。懸賞旗は大きさ(縦120cm、横70cm)や旗の上の部分に木の棒、下の部分には金色のモールを付けるなどの厳格な条件がある[4]

公共放送であるNHKテレビ中継は、広告放送を禁止した放送法83条に抵触するという判断から、この場面になると遠景からの土俵の撮影に切り替えて、過去1年間の取組対戦成績を記したスーパーを被せる[3]。懸賞を掛けたスポンサー名が読み上げられるため、場内音声を絞った上から解説のコメントを被せる(ただし懸賞の本数について、放送内で言及することはある)。同じくNHKのラジオ中継でも懸賞読み上げの場内音声は絞られ、アナウンサーは勝負の展望やこれまで行なわれた取組の結果を伝える。一方、日本相撲協会ホームページの公式取組映像配信は場内音声もそのまま配信されているため聴くことができる。

横綱大関クラスの取組ともなると、かなりの数(多い場合は40本以上)の懸賞がかけられる。2005年(平成17年)9月場所千秋楽結びの一番である朝青龍vs栃東は当時史上最多の49本の懸賞がついた。これだけの数になると、仕切りの制限時間の間、懸賞の垂れ幕が土俵を回り続けることになり、仕切りの緊張感を殺ぐという意見が出たため、2006年(平成18年)1月場所からは1つの取組につき50本(東京場所は後述の森永賞を含めて51本)までという制限が設けられた。2006年(平成18年)9月場所千秋楽結びの一番、朝青龍vs白鵬に初の制限いっぱいの51本の懸賞がかけられた。ただし横綱クラスでも毎回のように大量の懸賞がかけられるとは限らない。2008年(平成20年)1月場所で朝青龍の取組にかけられた懸賞は、謹慎処分明けということもあり、横綱としては異例の2本であった[1]。白鵬翔が最多記録となる33度目の優勝を決めた2015年(平成27年)1月場所千秋楽および稀勢の里寛が初優勝を果たした2017年1月場所千秋楽[5]は、懸賞依頼が殺到し、緊急措置として[6]60本(森永賞を含めて61本)の懸賞が設けられ、現在はこれが懸賞最多記録となっている。のちに相撲人気の上昇や懸賞の拡大もあって、2017年(平成29年)3月場所の時点で1つの取り組みにつき最大60本の懸賞が認められている[7]

懸賞金は原則中入後の取組に懸けられ、十両以下の取組は懸けられない[8](唯一の例外として1970年(昭和45年)9月場所の十両力士同士の輪島vs長浜〈豊山〉の例あり)が、幕内対十両の取組に懸けることはできる。原則として一場所15日間、毎日懸賞を出すことが求められていたが、2000年(平成12年)からは5本以上であれば1日だけ、あるいは同じ取組に複数本懸賞を出せるようになった。形式は、後援する力士の取組すべてにかけたり、出場力士にかかわらず結びの一番は必ずかけるなど、さまざまである。

相手力士が休場(引退)し、不戦勝となった場合は懸賞を受け取ることができない。この場合既に懸けられていた懸賞については、相撲協会が懸賞を懸けた企業に連絡し、懸け主は同日の他の取組に懸け替えるか、懸賞を取り止めるかのいずれかを選択することになる[4]。例えば2015年(平成27年)5月場所8日目の白鵬vs大砂嵐では40本の懸賞が懸けられていたが、大砂嵐が休場となったため、23本が他の取組に懸け替えられ、17本が取りやめになった[9]。2024年(令和6年)1月場所14日目は結びの一番が照ノ富士の不戦勝となることが当日午前中に決定し、この取組の懸賞の一部がその1つ前の琴ノ若vs霧島の取組に掛け替えられた結果、史上最多の63本の懸賞が懸けられた[10]
作法詳細は「手刀」を参照

懸賞のかかった一番は、行司は勝ち名乗りの後で、軍配の上に懸賞袋を乗せ、勝ち力士に差し出す。この場合、軍配が三方の代用とされる。

勝ち力士はこれを右手で三つ手刀を切ってから受け取るのが現在は普通になっている。これは昭和大関名寄岩静男から始まったもので、彼以前はもっと無造作に受け取るのが普通だったが、名寄岩がこれを無作法で見た目にも良くないとして始めたものを他の力士も次第に真似るようになった。

名寄岩によれば、三つ手刀を切る意味は、心≠ニいう字を描くということで、手刀の切りかたも(力士当人から見て)左→中央→右の順だった。「勝負をつかさどる三柱の神への感謝の意で、左→右→中央の順で手刀を切る」という、現在の解釈とはやや異なっている。もっとも懸賞を受け取った後、右に払い心の字を切る力士も多い。

懸賞金の制度は古来の伝統に基づいておらず、手刀を切る手の左右に関しては取り決めも存在せず、昭和30年代まで手刀を切る手や切り方も力士によってまちまちだった。これを見かねた元横綱双葉山定次の時津風理事長から通達が出され、「右手で、左、右、中央と手刀を切る」ことが原則とされた。この後も、逆鉾昭廣(後の井筒)のように左利きの力士が左手で手刀を切っても特別に問題視されることもなかったが、左利きである横綱朝青龍明徳が左手で手刀を切って懸賞金を受け取ったときに、横綱審議委員会内舘牧子がそれを問題視した。これを受けた2004年9月場所前の力士会における大山の講話では「手刀は右で切る」旨の明言はなく「直すかどうかは本人次第」とし、理事長の北の湖も「所作は右が基本」としながらも「100%やれと言っても難しいかもしれない」と言葉を濁した[11]。朝青龍本人は右で切るよう努力する旨を表明し[12]、これ以降は右で切るようになった。

懸賞金は手刀を切った後、手刀を切った方の手(つまり片手)で受け取るのが普通だったが、近年は1つの取組に掛けられる懸賞金の本数が増えて束が厚くなったこともあり、初日・14日目・千秋楽の横綱戦などで右手で手刀を切った後に両手で懸賞金を受け取る光景が見られるようになっている。

勝負のため血が頭に上り、間違って勝ち力士が懸賞を受け取らずにそのまま土俵から下がる例もしばしば見られる。極めて稀であるが、勝ち力士が手刀を切る際に軍配等に手が当たり、懸賞袋を土俵上に落とす例があるが、その際は@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}足で懸賞袋を拾う習わし[要出典]である。[13]
懸賞本数の記録

1つの取組にかけられた懸賞の本数は、長らく1964年(昭和39年)1月場所の栃ノ海 -大鵬(14日目)、栃ノ海 - 豊山(千秋楽)の26本が最多であったが、2004年(平成16年)1月場所の朝青龍 - 千代大海(14日目)に27本の懸賞がかけられて以降、本数が急増した。
取組別記録

順位本数取組場所
例外1位71本
若隆景渥 - 若元春港2022年蒼国来引退相撲番外取組
1位63本霧島鐵力 - 琴ノ若傑太2024年(令和5年)1月場所14日目
2位61本白鵬翔 - 鶴竜力三郎2015年(平成27年)1月場所千秋楽
鶴竜力三郎 - 照ノ富士春雄2015年(平成27年)9月場所千秋楽


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