懐慶府(かいけいふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の河南省焦作市一帯に設置された。 1368年(洪武元年)、明により懐慶路が懐慶府と改められた。懐慶府は河南省に属し、河内・済源・修武・武陟・孟・温の6県を管轄した[1]。 清のとき、懐慶府は河南省に属し、河内・済源・修武・武陟・孟・温・原武・陽武の8県を管轄した[2]。 1913年、中華民国により懐慶府は廃止された。
概要
脚注^ 『明史』地理志三
^ 『清史稿』地理志九
表
話
編
歴
明朝の行政区分
北直隷
(北平布政司)
順天府
保定府
河間府
真定府
順徳府
広平府
大名府
永平府
延慶州
保安州
南直隷
応天府
蘇州府
松江府
常州府
鎮江府
淮安府
揚州府
安慶府
徽州府
太平府
池州府
寧国府
鳳陽府
廬州府
広徳州
徐州
?州
和州
陝西布政司
延安府
漢中府
西安府
平涼府
鳳翔府
臨?府
河州
興安州
秦州
?州
霊州
山西布政司
太原府
大同府
汾州府
平陽府
?安府
沁州
沢州
遼州
山東布政司
?州府
済南府
青州府
登州府
東昌府
?州府
河南布政司
衛輝府
懐慶府
開封府
河南府