憂国
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この項目では、三島由紀夫の小説について記述しています。「憂国」の語義については、ウィクショナリーの「憂国」の項目をご覧ください。

憂國
訳題Patriotism
作者三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『小説中央公論
1961年1月・3号・冬季号
出版元中央公論社
刊本情報
刊行『憂國 映画版』
新潮社 1966年4月10日
収録『スタア』新潮社 1961年1月30日
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『憂国』(ゆうこく)は、三島由紀夫短編小説。原題は旧漢字の『憂國』である。

仲間から蹶起に誘われなかった新婚の中尉が、叛乱軍とされた仲間を逆に討伐せねばならなくなった立場に懊悩し、妻とともに心中する物語。三島の代表作の一つで、二・二六事件の外伝的作品である[1]1961年(昭和36年)1月の小説発表の4年後には、三島自身が監督・主演などを務めた映画も制作され、ツール国際短編映画祭劇映画部門第2位を受賞した[2][3]

大義に殉ずる者の至福と美を主題に、皇軍への忠義の下、死とエロティシズム、夥しい流血と痛苦をともなう割腹自殺が克明に描かれている[4][5]60年安保という時代背景と共に「精神と肉体、認識と行動の問題」をあらためて思考するようになっていた三島が、その反時代傾向を前面に露わにした転換的な作品である[5][6]。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
発表経過

1961年(昭和36年)1月、雑誌『小説中央公論』3号・冬季号の〈現代代表作家二十人創作集〉に掲載され、同年1月30日に新潮社より刊行の短編集『スタア』に収録された[7][8][9][注釈 1]。のち1966年(昭和41年)6月に河出書房新社より刊行の『英霊の聲』にも、戯曲『十日の菊』と共に二・二六事件三部作として纏められた。なお、この刊行にあたって、当時の実状をよく知る加盟将校の1人(当時陸軍歩兵大尉)の末松太平からの助言により、「近衛輜重兵大隊」を「近衛歩兵第一聯隊」に改めた[4][注釈 2]

文庫版としては、1968年(昭和43年)9月15日に新潮文庫より刊行の『花ざかりの森・憂国――自選短編集』に収録された[8][9]。その後、1997年(平成9年)に『中央公論』11月・臨時増刊号の〈激動の昭和文学〉に再掲載された[9]。翻訳版はGeoffrey W. Sargent訳(英題:Patriotism)をはじめ、世界各国で行われている[11]

1965年(昭和40年)4月には、自身が製作・監督主演・脚色・美術を務めた映画『憂國』が製作された。映画は翌年1966年(昭和41年)1月、ツール国際短編映画祭劇映画部門第2位となり、同年4月からなされた日本での一般公開も話題を呼び、アート系の映画では記録的なヒットとなった[3][12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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