憂国忌(ゆうこくき)は、作家・三島由紀夫の命日の11月25日にちなんで、憂国忌実行委員会が毎年開催している追悼集会[1][2]。憂国忌実行委員会は、「三島由紀夫研究会」に事務局を置いている[1][2]。 1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫の割腹自決事件が発生(三島事件)。これを受けて同年12月11日、林房雄を発起人総代とする実行委員会により「三島由紀夫氏追悼の夕べ」が開かれた[1][2]。司会は川内康範と藤島泰輔が務めた。実行委員は民族派学生(日本学生同盟)で、集まった人々は3,000人以上(一説には7,000人)となった[1]。500人収容の会場に入りきれず、近くの中池袋公園に集まった。この時は、事件に対する政府首脳やマスコミの反応に同調し、追悼参加を躊躇した文化人が多かったという[2]。これが後の追悼集会「憂国忌」の起源となった。 翌1971年(昭和46年)11月25日、「憂国忌」(第2回追悼の夕べ)が、林房雄を発起人代表として九段会館で行なわれた。名称が「憂国忌」に決まるまでには、「潮騒忌」、「金閣忌」などの案もあったという[2]。乃木神社宮司・高山貴を斎主にした鎮魂祭、黛敏郎ほかの追悼挨拶・献花、映画『炎上』の上演、空手や剣道の奉納演武などが催された。楽屋には三島の父・平岡梓が林房雄を訪ね、礼を述べにやって来たという[2]。 以降、「憂国忌」は毎年行なわれている。福岡でも1971年(昭和46年)から毎年、新嘗祭の11月23日には「福岡憂国忌」が行なわれている。また、「憂国忌」のほか、毎年11月24日には「野分祭」という森田必勝の辞世の句にちなんで名づけられた追悼会も、一水会主催により行なわれている[3]。
成り立ち
おもな発起人
追悼の夕べ(初回追悼会)
総代
林房雄
代表発起人
川内康範、五味康祐、佐伯彰一、滝原健之
発起人
会田雄次、阿部正路
2020年(令和2年)10月現在(五十音順)
代表発起人
入江隆則、桶谷秀昭、竹本忠雄、富岡幸一郎中村彰彦、西尾幹二、細江英公、松本徹、村松英子
発起人
阿羅健一、井川一久、池田憲彦