慶應義塾中等部
[Wikipedia|▼Menu]

慶應義塾中等部

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度38分56.2秒 東経139度44分25.6秒 / 北緯35.648944度 東経139.740444度 / 35.648944; 139.740444座標: 北緯35度38分56.2秒 東経139度44分25.6秒 / 北緯35.648944度 東経139.740444度 / 35.648944; 139.740444
過去の名称慶應義塾商工学校
国公私立の別私立学校
設置者慶應義塾
校訓独立自尊
設立年月日1905年
創立者福澤諭吉
共学・別学男女共学
中高一貫教育連携型
学期3学期制
学校コードC113310300026
所在地108-0073
東京都港区三田二丁目17番10号
外部リンク慶應義塾中等部
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

慶應義塾中等部(けいおうぎじゅくちゅうとうぶ、: Keio Chutobu Junior High School)は、東京都港区三田二丁目にある共学私立中学校
概要

慶應義塾大学三田キャンパスに隣接する。前身は実業学校であった1905年(明治38年)設置の「慶應義塾商工学校」で、1947年(昭和22年)に新制の中等部が開校した。慶應義塾商工学校は、現在の三田キャンパス南校舎付近にあったが[1]、中等部となった翌年(1948年)に移転し、現在は元々普通部があった所に存在する[2]。なお、慶應義塾商工学校があった所には、現在、石碑がある。同じ一貫教育中学校の普通部は男子校だが、同校は湘南藤沢中等部と同じ男女共学校である。また、一貫教育中学校の3校の中で唯一、東京都内にある。

グレーの制服は式典用で、内部では基準服と呼ばれる。普段は中等部らしい気品のある服装を基本とし、襟・袖付きシャツ(ポロシャツ可)とスカート/スラックスを着用(ジーンズ不可)。

基本的に校則が存在せず、自由な校風である。
部長(校長職に該当)
井上逸兵
歴史

慶應義塾の内部において、中等部の前身は「慶應義塾商工学校」であるとする見解がある。この項では商工学校の概略について述べる。

商工学校は1904年に、「慶應義塾実業学校」の名称で設置申請、認可を受けたが、日露戦争により開校が延期され、翌年に「慶應義塾商工学校」の名で第1期生を受け入れた。甲種商業学校の認定を受け、当初は予科2年・本科4年の6年制(通常の実業学校は5年制)を敷いていた。慶應義塾商工学校(1906年頃)

実業学校という性格から、本来は中等教育の段階で職業人を育成するのが目的であったが、1920年、慶應義塾大学が大学令による大学に昇格すると、同予科に進学することも可能となった(後期には大学医学部に進学する者も現れたという)。そのため、同年修業年限を1年縮めて工業科目も大幅に廃止、2年後には予科・本科を一本化するなどの改革が行われた。

1944年太平洋戦争末期には、募集停止となり、工業学校が置かれた。

商工学校は終戦後の1946年に生徒募集を再開したが[3]、翌年から実施されることとなった新学制で、義務課程での専門教育は行わないことが決まったため、商工学校の下級生は暫定的に作られた新制の商工学校併設中学校の生徒となり、同時に新しく設立された中等部に委託される形で授業を受けた。よって、厳密には商工学校と中等部の間で制度上の連続性はないが、実情に鑑みて中等部は商工学校の後身と見ることが可能である。なお、上級生は新制の「慶應義塾第二高等学校」(後の慶應義塾高等学校)に編入扱いとなった。商工学校は1949年に廃止、教職員は中等部や各高等学校に転属された。
慶應義塾中等部の基本理念

「自立した個人を育む 自由な教育」- 自ら考え 自ら判断し 自ら行動して その結果に責任を持てる自立した個人を育む

校歌

中等部の歌 -
1948年制定、作詞:折口信夫、作曲:芥川也寸志[4][5]

授業

慶應義塾中等部の授業は45分単位で行われる。月曜日から金曜日までは6時間の授業があり、1時限の授業は午前8時10分に始まり、昼休みの時間(11時50分?12時40分)を挟んで、6時限の授業は午後2時20分に終わる。土曜日の授業は午後12時30分に終わる。

中等部の1学年の生徒数は約252名。男女比は約2:1で、1クラス生徒数が42名。A~F組の合計6クラスで構成される。

3年次には、慶應義塾中等部独自の選択授業が用意されている。生徒たちはその中から好きな科目を選んで、学習意欲と自主性を高めることができる。
学校施設

本館(谷口吉郎設計)[6]、新館、特別教室棟、ポプラ館、新体育館、F館(future館)、綱町グラウンド。

中等部玄関の両脇に一対のユニコン像が設置されている[7]
綱町グラウンド

中等部校舎から徒歩3分ほどの場所にあり、グラウンドのほかにテニスコート、道場などが設けられている[8]

かつてこの地は蜂須賀茂韶侯爵の所有地(庭)の一部で、2つの池だった[9]1903年慶應義塾に売却されて埋め立てられ綱町グラウンドとなり、同年11月21日に第1回慶早戦が行われた[10]

2003年に「早慶戦100周年記念碑」が建立され[11]2022年には日本野球聖地・名所150選に選定された[12]

現在、慶應義塾中等部の体育の授業に利用されている。

第1回慶早戦の両校選手(1903年11月21日)

慶應義塾とハワイ・セントルイス軍の野球試合(1916年10月23日)

慶明2回戦(1918年春)

綱町グラウンド(2009年)

学校行事

4月 - 入学式、新入生歓迎会、BLS講習会

5月 - 遠足、慶早会

6月 - 校内大会(クラス対抗のスポーツ大会)

7月 - 古典芸能鑑賞会、校内大会(水泳大会)、講演会、林間学校

8月 - 英国の修学研修旅行、夏のハワイ研修旅行

10月 - 運動会

11月 - 展覧会、校内大会(サッカー、バレーボール、綱引き大会)

12月 - 音楽会、生徒会総会

1月 - キャリア講座

3月 - 卒業旅行、卒業式、春の英国研修旅行

入試

入試は一次試験の国語算数社会理科の4教科、二次試験の体育面接で判定される。外部募集定員は男子約120名、女子約50名だが、慶應義塾幼稚舎からの内部進学者数により多少変動する[13]

幼稚舎からの内部進学者は、女子は約50人中45人前後であるのに対し、男子は約100人中10人台?30人台と変動が大きい。以前は普通部に進学するものがほとんどで、中等部への進学者は少なかったが、2021年以降増加している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:65 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef