慶尚北道 慶州市上から:東宮と月池、聖徳大王神鐘(国立慶州博物館)、石窟庵、仏国寺、良洞村、瞻星台
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:慶州市
日本語読み仮名:けいしゅうし
片仮名転写:キョンジュ=シ
ローマ字転写 (RR):Gyeongju-si
統計(2023年)
面積:1,324.41 km2
総人口:247,489[1] 人
男子人口:123,906 人
女子人口:123,583 人
世帯数:124,577 世帯
行政
国: 大韓民国
上位自治体:慶尚北道
下位行政区画:4邑8面11洞
行政区域分類コード:37020
慶州市の木:マツ
慶州市の花:チョウセンレンギョウ
慶州市の鳥:カササギ
自治体公式サイト: ⇒慶州市
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慶州市庁
慶州市(キョンジュし)は、大韓民国慶尚北道の歴史文化都市。東は日本海に面し、西は永川市と清道郡、南は蔚山広域市、北は浦項市に接する。面積1,324.41平方キロ、人口258,156人(2017年6月30日)。市のブランドスローガンはGolden City, Gyeongju。
新羅王国の都・金城(クムソン)の地であり、石窟庵と仏国寺が1995年にユネスコの世界遺産に登録された。また、2000年には南山ベルト・月城ベルト・大陵園(古墳公園)に含まれる膨大な遺跡と芬皇寺などが慶州歴史地域として登録され、さらに、2010年には市の北部・江東面に位置する両班の伝統的民俗村である良洞村が、安東河回村とともに世界遺産に登録された。これで同市内には3件の世界遺産が存在する事になり、稀な世界遺産都市となった。
韓国(朝鮮半島)の古都という点で、韓国国内はもちろん、世界各地からたくさんの観光客が訪れる。現代的な建造物が遺構の周辺にないという点で、ある意味で当時のまま街並みが残っている都市であるといえる。
また、市街地東方にある普門湖(ポムンホ)地域では、新しい観光拠点としての開発が行われており、特級ホテルが立ち並ぶ。
慶州市は全体に桜の木が多く、毎年春に、慶州さくらマラソンという大会が開催され、日本からも参加者がある。 慶州は古代には新羅王国の首都・金城(クムソン)として発展し、高麗太祖王建が慶州と改称した(東京等と呼ばれていた時代もあった)。李氏朝鮮時代は慶州府と呼ばれ、1895年に慶州郡となり、1931年慶州面が邑に昇格、1955年慶州邑が市に昇格した。1995年に慶州市・郡が合併した。
沿革
慶州市
1955年9月1日 - 慶州邑・内東面および川北面・内南面の各一部をもって慶州市を設置。(39洞)
1973年7月1日 - 39の法定洞を22の行政洞に改編。(22行政洞)
1975年10月1日 - 月城郡内南面・川北面・陽北面・外東面の各一部を編入。
1986年5月1日 - 洞の改変。
1987年1月1日 - 月城郡見谷面の一部を編入。
1995年
1月1日 - 慶州市・慶州郡が合併し、慶州市が発足。(4邑8面)
3月1日 - 洞の改編。
5月27日 - 安康邑の一部が江東面に編入。(4邑8面)
1998年11月14日 - 洞の改編。[2](4邑8面13行政洞)
2003年3月13日 (4邑8面)
安康邑老堂里の一部が江東面に編入。
江東面安渓里・多山里の各一部が安康邑に編入。
2009年1月15日 - 洞の改編。(4邑8面11洞)
2021年4月1日 - 陽北面が文武大王面に改称。(4邑8面11洞)
慶州郡(月城郡)
1895年 - 二十三府制により、慶州府を慶州郡に改編。(16面)
府内面・内東面・外東面・東海面・内南面・外南面・西面・山内面・川北面・見谷面・江東面・江西面・神光面・杞渓面・竹長面・北安面
1896年 - 十三道制により、慶尚北道慶州郡に改編。
1906年 - 外南面を蔚山郡