慰安婦
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日本軍の慰安婦については「日本の慰安婦」を、大韓民国国軍の慰安婦については「韓国軍慰安婦」をご覧ください。
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出典検索?: "慰安婦" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年3月)

慰安婦(いあんふ)とは、かつて主に戦地の施設で将兵の性の相手をした女性のこと。
概説

「慰安婦」という言葉は、日本軍公認の売春婦を指す言葉として誕生し、現在日本においては、他国の同様の女性に対しても用いられている。

本稿では、各国の慰安婦の他、軍隊による性の管理の実態や歴史について扱う。日本軍の慰安婦に関しては「日本の慰安婦」、韓国軍の慰安婦に関しては「韓国軍慰安婦」を参照のこと。本稿では、詳しくは扱っていない。
軍用売春宿詳細は「軍用売春宿」を参照

日本では、軍公認の売春婦を「慰安婦」、公認された売春宿を「慰安所」と呼んでいる。各国の慰安所≠ノ関しては、別稿「軍用売春宿」を参照。
近世以前の軍隊と娼婦

軍隊と売春婦の関係は古く、ジョージ・ヒックスは、ローマ帝国では、ローマの守備隊や遠征軍に女性捕虜(奴隷)を供給し、セックス・サービスを提供させると共に、看護、洗濯、料理などの仕事に従事させたと述べている[1]

近世までの軍隊は、女子供を含む民間人を伴って移動した。まだ軍隊は自己完結型の組織ではなく、軍隊の需要を満たす為に商人や職人がおり、女は洗濯婦やお針子として働いた。こうした人々をキャンプ・フォロワーという。キャンプ・フォロワーは、19世紀の南北戦争ナポレオン戦争でも見られた[2][3]

キャンプ・フォロワーの語は、しばしば売春婦の同義語として用いられるが、これは正確ではない。しかし、キャンプ・フォロワーの中には兵士相手に売春する女性もおり[2]十字軍の遠征にも売春婦が同行していた[4]

中世エチオピア皇帝の軍隊には、非軍人を含めた数十万の人々が従軍したが、その中には本職の売春婦が含まれていたと言われる。ポルトガルの司祭によれば、ダウィト2世(英語版)の軍隊には、現地語で「踊り子」と呼ばれる売春婦のテントが存在した[5]:159。

16世紀にスペイン軍がオランダ侵攻した際には、1200人の売春婦が随行したとされ、ドイツで1598年に刊行された軍事教科書では随行売春婦の役割について論じられている[6]

朝鮮の妓生は、国境守備将兵の慰安婦としても活用され、李氏朝鮮時代、国境の六ヶ所の「鎮」や、女真族が出没する白頭山付近の「邑」に派遣された[7]

日本にも古くから御陣女郎がおり[8]:91、女性史研究家のもろさわようこは、『平家物語』や『源平盛衰記』に、軍陣に押し寄せる遊女のことが描かれていると指摘している[9]:139。
19世紀の軍隊と性「近代公娼制」も参照

ナポレオン戦争の結果、性病がヨーロッパ中に広まったことを切っ掛けに、19世紀初頭のフランスで、兵士の性病防止の為の売春の国家統制が始まった。このシステムは、ヨーロッパ大陸やイギリスへ広がった。19世紀の半ばには、売春宿が唯一売春婦が合法的に働ける場となり、売春宿を通じて国家が買春を管理する仕組みが完成した[10]

プロイセンは一時公娼制度を中断したが、軍当局の圧力で1851年に再開した。イギリスもクリミア戦争による性病の蔓延を受けて公娼制度を導入した。イギリスは、1886年に本国で公娼制度を撤廃した後も軍の利益の為に植民地ではこの制度を温存した[10]

北アメリカでは法制化にこそ至らなかったが、南北戦争中に北軍が南部の都市を占領すると北軍の指導者が売春の統制に乗り出し、1870年にセントルイスでヨーロッパ型の公娼制度が正式に採用された[10]

自国の軍隊を性病から守る為の近代型公娼制度を、藤目ゆきは「軍隊慰安と性病管理を機軸とした国家管理売春の体系」であると説明している[10]

近代型の公娼制度は[注釈 1]、その後、日本でも導入された。
第一次世界大戦の軍隊と性

ドイツやフランスは、将兵の為に慰安所(軍用売春宿)を設置した。

プロテスタントの世論が売春を許さないアメリカは、女性を兵士に接触させない事で性病を防ごうと考え、アメリカン・プランを採用した[11][12]

イギリスの世論も売春に非寛容だったが、海外に駐留するイギリス軍は、兵士たちに管理された#эt宿の利用を許していた。

プロテスタント系であっても、ニュージーランド軍では、兵士に対し「女が必要なら、病気のないきれいな女を与えなさい」[13]と訴えた女性ボランティア、エティ・ラウト(英語版)の働きかけにより、性病予防キットの配布や「慰安所」の利用が認められた[14]
エティ・ラウト「en:Ettie Rout」を参照

ニュージーランド人女性エティ・ラウトは、第一次大戦中、ボランティアとして訪れたエジプトで、多くの兵士が性病に苦しんでいる姿を見る。売春を悪徳とみなすピューリタン(清教徒)であるニュージーランド軍は、批判を恐れ、性病に対し現実的な予防策を取れずにいた。ラウトは、性病をモラルではなく医学の問題とみなし、兵士の為の性病予防薬や、「管理された安全な売春宿」の必要性を訴えた。彼女は女性団体などから批判されたが、1917年、ニュージーランド遠征軍(英語版)は、性病予防キットの採用を決定した。兵士の為に売春宿を作るという試みは、イギリスでは失敗したが、フランスでは成功した。ラウトは、連合国の一員としてフランスに来たオーストラリア軍やニュージーランド軍の兵士に、安全な売春宿≠紹介するカードを配った。一連の功績を称えられ、ラウトは後にフランス政府から勲章を授与された[14][15]
第二次世界大戦の軍隊と性ドイツ兵と戯れるフランス・ブレストの売春婦連合軍によって制圧されたパリではドイツ人と親密であった女性たちは頭を刈られ服を引き裂かれて引き回された

秦郁彦は、第二次世界大戦時の戦地での性政策を「自由恋愛型」「慰安所型」「レイプ型」の3つの型に大別し、それぞれ以下のようにその特徴を解説している[16]

自由恋愛型

秦は、アメリカやイギリスを「自由恋愛型」とする。両国では公娼から私娼中心の時代に入っていたことと、本国の女性の目が厳しかったことから、公娼を大っぴらに利用出来ず、現在のソープランドや「援助交際」のような自由恋愛の建前を押し通した[16]


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