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愛知長久手町立てこもり発砲事件
場所愛知県愛知郡長久手町(現:長久手市)
日付2007年(平成19年)5月17日 - 5月18日
武器拳銃
死亡者1名(警察官(発生当時は巡査部長で警部に二階級特進))
負傷者3名(警察官、犯人の息子と娘)
犯人元暴力団組員の男
動機元妻との復縁をめぐる話し合いのもつれ
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愛知長久手町立てこもり発砲事件(あいちながくてちょう たてこもりはっぽうじけん)は、2007年(平成19年)5月17日から5月18日にかけ、愛知県愛知郡長久手町(現:長久手市)で被疑者の男が元妻を人質に取って民家に立てこもった事件のこと。発生から解決まで約29時間に及び、愛知県警察の警察官1人が殉職、男の妻子と警察官1人が負傷した。
この事件はSAT初の殉職者を出す事件となった。この事件の4週間ほど前には町田市立てこもり事件が発生していた。テレビによる一部始終の中継もあり、立てこもり事件に対する新たな対策などが提唱されるきっかけともなった。この他、愛知県内では同年8月に刈谷市で、9月には豊明市で立てこもった男が逮捕される事件が続発した。目次 2007年5月17日午後3時47分ごろ、愛知県愛知郡長久手町の民家から「父親が拳銃を持って暴れている」という通報が警察に入った。その後、午後3時49分にこの民家に住む息子から「父親はもう落ち着いた。警察が来ると興奮するので家には来ないでほしい。持っている拳銃はおもちゃだ」という2度目の通報が入った。愛知警察署長久手交番勤務の巡査部長が現場に駆けつけたところ、元暴力団組員の男が巡査部長に向けて回転式拳銃(実銃)を発砲し、巡査部長は首を撃たれ現場民家の出入り口付近に倒れた。巡査部長は2度目の通報内容から防弾チョッキを着ておらず、防刃ベストを着用していた。巡査部長が撃たれた直後に愛知警察署の刑事課員10人が3台の捜査車両で現場に駆けつけたが、10人中6人は防弾チョッキを身につけていたものの、拳銃は10人全員が携帯していなかった。 男は別れた元妻との復縁について家族と話をしていたが、話し合いが上手くいかないことに腹を立て、銃を持ち出し暴れていたという。男は巡査部長への銃撃とほぼ同時に息子の左腹部と娘の右足も拳銃で撃ち負傷させた。民家を脱出した息子と娘は命に別状はなかったものの、息子は重傷であった。 その後、男は元妻を人質にとり自宅に立てこもった。警察は現場付近の交通をすべて遮断し、男に対して説得を続けたが、男は「救急車を近づけたら撃つ」「弾が100発ある」「爆弾も持っている。近づいたら爆発させる」などと脅迫したため、民家の出入り口付近に倒れている巡査部長を容易に救出することはできなかった。民家の敷地内には人の動きに反応して点灯するセンサーライトが設置されており、巡査部長の腕が動くたびに点灯して周囲を明るく照らしていた。また、庭に1匹と室内に2匹の犬がおり、民家の裏から捜査員が近づいた際も吠えていたという。 午後4時45分ごろ、捜査一課に所属する捜査員が男を説得している間に、機動捜査隊が現場に到着した。機動捜査隊の捜査員らは窓を開けて姿を現していた男の死角に配置し、拳銃を構えて射撃する態勢をとっていたが、突然、前線本部から「下がれ」と命令されたため、男の制圧は中止された[1]。 午後5時30分ごろから午後6時ごろにかけて、愛知県警察刑事部の特殊捜査班 (SIT) の隊員が現場に到着。到着直後に防護車両を玄関に突入させて巡査部長を救出する作戦を計画したが、実行直前に前線本部からの指示により中止された。この時点で、倒れていた巡査部長は「俺はもうだめだ」との言葉を残して、無線の呼びかけに応じなくなっていた。愛知県警察は犯人が「人質を撃つ」などと威嚇し続けたことから作戦を転換したという。 その後、捜査員らは近くの敷地を借りて、盾で巡査部長を防護しながら救出する作戦の演習を繰り返し行った。また到着時刻は不明だが、救出作戦開始前に愛知県警察警備部の特殊部隊 (SAT) も現場に到着した。 午後8時20分、巡査部長の救出作戦が最終決定する。SITと機動捜査隊の隊員計16人で混成された救出部隊が民家の敷地内に入り巡査部長を担架に乗せて運び出すのを、SATの隊員計14人が後方支援という形で援護する計画である。 救出部隊は、大盾を持ったSITの隊員7人が先頭となって1列に並び、その後ろに拳銃を持ったSITの隊員3人、そのさらに後ろに担架を持った機動捜査隊の隊員6人が続くという陣形をとった。また後方支援を担当するSATは、約70メートル離れた建物の屋上に狙撃銃を持った隊員5人を配置、さらに現場前の路上に拳銃や機関拳銃 (H&K MP5) を持った隊員9人を配置し、9人のうち3人は民家の前まで前進してきた特型警備車の陰に身を隠しつつ、救出部隊を近距離から援護する計画だった。 午後8時54分、作戦が開始され、男と娘が電話している間に救出部隊は前進を始めた。 午後9時20分すぎ、SIT、SAT、機動捜査隊員計25人が盾や銃を構えつつ気付かれないように民家に近づいた。この際、防弾機能のある特殊車両については男に気付かれてはならないとの判断から、計画よりも数メートル手前に停車させた。車両が手前に停車した結果、SAT隊員3人は特殊車両の前に出て援護することとなった。救出部隊はそのまま巡査部長の倒れている民家の出入り口へと向かい、SAT隊員3人は駐車していた捜査車両に身を隠しつつ援護を行う。 作戦通り救出部隊が倒れている巡査部長を救出し、SATのいる後方に搬送していた際、犬の鳴き声により警察官の接近に気付いた男が民家の窓から救出部隊に向かって拳銃を発砲。後方支援のため捜査車両の間で機関拳銃を構えて警戒していた林一歩巡査部長が左鎖骨部に被弾した。林巡査部長は防弾チョッキを着用していたが、銃弾は左鎖骨で跳弾して方向を変え、防弾チョッキの防弾効果がない胸と背中との繋ぎ部分を貫通、首筋の左鎖骨下部から入り上行大動脈を貫通した。救急車で搬送されたが、外傷による心不全(心タンポナーデ)のため5月18日午前0時ごろに病院で死亡した。弾丸は体内から見つかった。救出された巡査部長は命に別状はなかったものの、外傷性クモ膜下出血などの重傷であり、半身不随の後遺障害が残った。 報道によれば、SATは巡査部長救出の際、民家敷地に犬がいることを知らされておらず、前線本部からは「発砲してきて、犯人の姿がみえたら発砲しろ」と命令されていた。隊員が撃たれた際、男はブラインド越しに銃撃しており、姿が確認できなかったため、これに応戦する形での射撃は行われなかった[1]。 林一歩巡査部長の死亡後、大阪府警察のMAATが現場に応援派遣され、愛知県警察SITと合同で突入する演習を実施しており、この様子を撮影した写真が事件後にテレビで報道された。 しばらく膠着状態が続いたが、5月18日午前10時35分ごろ、男が名古屋市のFMラジオ局ZIP-FMに直接電話をして、放送中の番組のDJ、ジェイムス・ヘイブンスとの会話を要求してきた。
1 経緯
1.1 発生
1.2 巡査部長救出
1.3 人質の脱出・保護
1.4 犯人の投降・逮捕
1.5 その後の捜査
2 裁判
3 警察の対応をめぐって
4 影響
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
6 外部リンク
経緯
発生
巡査部長救出
人質の脱出・保護
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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