愛知郡(あいちぐん)は、愛知県(尾張国)の郡。愛知県の県名は本郡に由来する。
人口43,823人、面積18.03km²、人口密度2,431人/km²。(2024年3月1日、推計人口)
以下の1町を含む。 1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる[注釈 1]。 古代の名古屋市南部すなわち熱田台地付近は半島を成しており、奈良時代以前はこの地域を「年魚市」「吾湯市」などと書いて「あゆち」と呼んでいた。周囲は干潟を成した湾が入り込んでおり[1]、この付近の干潟が「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれていた[1]。年魚市潟は歌枕として知られ、『万葉集』では高市黒人の歌として「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟 潮干にけらし鶴鳴き渡る」と詠まれている。 愛知の古称である「あゆち」の語源については不明で、古くから議論がなされている。江戸期の郷土史家津田正生は『尾張国地名考』の中でアユが捕れる淵の意ではないかと考察している[2]。『愛知郡誌』では「あゆ」とは湧水の意であるとしている[3]。この他に「あゆ」とは東風の意でめでたい風を表すとする説などがある[3]。 愛知郡は、7世紀後半に設置された年魚市評(あゆちのこおり)を前身とするとみられる。『田島氏系図』には「多々見 年魚市評督」の記載が見え、評督には尾張氏が就いていたとみられる[3]。なお、大化の改新以前は「阿由知県(あゆちのあがた)」という県が置かれていたという説もあるが[4]、この説は疑問視されている[注釈 12]。 701年の大宝律令制定により評が郡となり、年魚市郡が成立した。年魚市郡の表記は複数あり、平城京出土木簡には「阿由市郡」と[5]、712年付の『神亀三年山背国愛宕郡出雲郷雲上里計帳』には「鮎市郡」と[6]、『日本書紀』には「年魚市郡」と表記されている[4]。713年以降、好字二字令により表記が「愛智」または「愛知」に改められたと推測され[4]、10世紀以降に編纂された『延喜式』や『和名抄』には「愛智郡」と[7]、平城京出土木簡や『続日本紀』では「愛知郡」と記載されている。
東郷町(とうごうちょう)
郡域
名古屋市の大部分(守山区[注釈 2]・東区[注釈 3]の全域、中区[注釈 4]・北区[注釈 5]の大部分、および、千種区[注釈 6]・西区[注釈 7]・中村区[注釈 8]・中川区[注釈 9]・港区[注釈 9]・緑区[注釈 10]・名東区[注釈 11]の各一部を除く)
瀬戸市の一部(概ね西原町、高根町、東本地町、菱野町、赤重町、幡野町、原山台、菱野台、萩山台、宝ヶ丘町、若宮町、屋戸町、広久手町以南)
豊明市の一部(栄町・新栄町・阿野町および三崎町の一部を除く)
日進市・長久手市の全域
近代以前
郡名の由来
古代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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