愛知県立安城農林高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分5.07秒 東経137度4分44.85秒 / 北緯34.9680750度 東経137.0791250度 / 34.9680750; 137.0791250
愛知県立安城農林高等学校(あいちけんりつあんじょうのうりんこうとうがっこう)は、愛知県安城市池浦町にある県立の農業高等学校[1]。略称「農林(のうりん)」「安農(あんのう)」。 安城村長の岡田菊次郎などによって安城村に誘致され、1901年(明治34年)に愛知県立農林学校として創立。創立には当時愛知県会議長だった内藤魯一が尽力したと言われている[2]。初代校長には山崎延吉が着任した。 1922年(大正11年)、愛知県安城農林学校に改称した。戦前は新潟県の加茂農学校、静岡県の中泉農学校と共に三大農学校と呼ばれ、全国から生徒を集めていた。このような教育実績に基づき、第一次世界大戦後の高等教育拡充の動きのなかで安城農林を高等農林学校(現在の大学農学部に相当)に昇格させようとする動きが起こったが、実現しなかった。 1946年(昭和21年)の学制改革により新制高等学校になり、現校名に改称された。1949年(昭和24年)に愛知県立安城高等学校と統合するものの、翌年には再び分離独立した。 安城市長・明治用水土地改良区理事長等をつとめた石原一郎(大正7年卒)や元参議院副議長の森八三一など優秀な人材を多く輩出し、安城市一帯が日本デンマークと呼ばれるほどの農業先進地になった要因の一つである。 校内には5.3ヘクタールの実習地があり、校舎をあわせると14ヘクタールほどになる。校外にも豊田市や新城市に生徒が実習するための演習林と呼ばれる山も所有している。 部活動はあまり活発でないが、馬術部はインターハイ出場経験をもつ。 要は只誠意にあり。
概要
校訓
礼節を正し廉恥を重んじ信義を尚(たっと)ぶべし。
国家社会に貢献せんことを庶幾(こいねが)ふものは勤労を以て身を馴らすべし。
利を忘るべからざるも尚(なお)之が為めに他の迷惑を招くことあるべからず。
共同一致が成効(せいこう)の基(もとい)たるを覚知すべし。
沿革
1901年(明治34年) - 愛知県立農林学校開校(農科、林科各1学級)。
1903年(明治36年) - 高さ3.18メートルの石造の主門柱2本の正門が完成[3]。
1922年(大正11年) - 愛知県安城農林学校に改称。
1937年(昭和12年) - 通常課程・農業課程畜産科1学級設置。
1945年(昭和20年) - 校舎本館並びに講堂全焼。
1946年(昭和21年) - 通常課程・農業課程農芸化学科1学級設置。
1948年(昭和23年) - 学制改革により愛知県立安城農林高等学校に改称。
1949年(昭和24年) - 愛知県立安城高等学校と統合。
1950年(昭和25年) - 分離独立。通常課程・農業課程農業科、林業科、畜産科及び農芸化学科各1学級、定時制課程・農業課程農業科2学級設置。