愛知県立刈谷高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度59分2.25秒 東経136度59分53.76秒 / 北緯34.9839583度 東経136.9982667度 / 34.9839583; 136.9982667
愛知県立刈谷高等学校(あいちけんりつ かりやこうとうがっこう、英称:Aicihi Prefectural Kariya High School)は、愛知県刈谷市寿町に所在する県立高等学校。略称は刈高(かりこう)。 1919年(大正8年)に設立された愛知県立第八中学校を前身とする。校訓は「質實剛健」。初代校長・羽生隆は「イートンに学べ。東洋のイートンたれ」と、英国の名門パブリックスクールであるイートン校をモデルとした学校運営を行った。このため、野球を禁じてサッカーとマラソンを校技とし、生徒用の寄宿舎が同校の敷地内(現在の校舎北側のテニスコート、ハンドボールコートのあたり)に整備された(現在はない)。1988年(昭和63年)以来、イートン校と正式に交換留学を行っている[1]。 旧大学入試センター試験の会場に利用されることがある。 2025年(令和7年)に附属の刈谷中学校ができる予定になっている。
概要
歴史
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
1918年(大正7年)11月 - 中学校の設立が認可される。
1919年(大正8年)4月 - 愛知県立第八中学校として開校。
1922年(大正11年)5月1日 - 愛知県刈谷中学校に改称。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により旧制中学校が廃止され、新制高等学校愛知県立刈谷南高等学校(男子校)が発足。
新制高等学校(男女共学校)時代
1948年(昭和23年)
10月1日 - 公立高校の再編により、愛知県立刈谷北高等学校(旧・高等女学校、女子校)と統合され、愛知県立刈谷高等学校に改称。
両校の校舎は北校舎(女子部)、南校舎(男子部)として使用される。
1949年(昭和24年)
4月1日 - 高校三原則に基づく公立高校の再編が行われる。
通常課程(普通課程・商業課程)と夜間課程(普通課程)及び別科を設置。
男女混合の学級を編成し、男女共学を実施。
学区制を実施。
10月 - 知立分校が愛知県立岡崎高等学校より移管される。
1950年(昭和25年)
4月 - 東浦分校を設置。
6月 - 新校歌を制定。
1951年(昭和26年)4月1日 - 愛知県立刈谷商業家庭高等学校の新設により、商業課程を同校に移管。普通科のみとなる。
1953年(昭和28年)2月 - 新校旗を制定。
1958年(昭和33年)4月1日 - 知立分校が分離し、愛知県立知立高等学校として独立。
1969年(昭和44年)4月1日 - 愛知県立刈谷東高等学校の新設により、夜間課程を同校に移管。
1973年(昭和48年)4月1日 - 東浦分校が分離し、愛知県立東浦高等学校として独立。学校群制度の導入(刈谷学校群)。
1988年(昭和63年)- 英国のイートン校との交換留学を開始。
1989年(平成元年)4月 - 学校群制度を廃止し、複合選抜入試制度を開始。三河2群Aグループに属する。
2011年(平成23年) - 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定を受ける(5年間、2016年・2021年に再指定)。