愛知国際放送
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愛知国際放送
Aichi International Broadcasting Co., Ltd.

種別FMラジオ放送
放送対象地域愛知県名古屋市
愛知県瀬戸市
愛知県豊田市
愛知県岡崎市
愛知県常滑市
愛知県豊橋市
静岡県浜松市
系列MegaNet
略称なし
愛称RADIO-i
コールサインJOGW-FM
放送期間2000年4月1日 - 2010年9月30日
本社461-8639
名古屋市東区東桜1-10-37 久屋ビル6階
演奏所本社と同じ
親局 / 出力名古屋 79.5MHz / 5kW
主な中継局

豊橋 83.0MHz

浜松 79.9MHz

公式サイト ⇒愛知国際放送
特記事項:全国4番目の外国語FM局として開局。
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愛知国際放送株式会社
Aichi International Broadcasting Co.,Ltd.種類株式会社
本社所在地 日本
461-8639
名古屋市東区東桜1-10-37
設立1999年8月10日
業種情報・通信業
事業内容放送法に基づく一般放送事業
代表者代表取締役社長 近藤和男
資本金9億6000万円(2008年3月時点)
売上高6億5298万円(2008年3月期)
営業利益▲2億1060万円(2008年3月期)
純利益▲2億1112万円(2008年3月期)
総資産2億1031万円(2008年3月期)
従業員数18人(2008年3月時点)
決算期3月
主要株主興和 - 100%
特記事項:2010年10月清算手続開始
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愛知国際放送(RADIO-i)が入居していた久屋ビル(6階に入居)。テナントオーナーも含め興和グループの一員であるため、他に入居しているテナントのほとんどが同グループ関連の会社や同社の労働組合である。

愛知国際放送株式会社(あいちこくさいほうそう、英文社名: Aichi International Broadcasting Co., Ltd.)は、かつて存在した、超短波放送(FM放送)で外国語放送を行っていた一般放送事業者(現:民間特定地上基幹放送事業者)。愛称はRADIO-i(レディオ・アイ)。

コミュニティ放送を除く一般放送事業者で他社との合併や事業譲渡がされずに、自主的に閉局し解散した初めての事業者となった。
概要

中京広域圏及び静岡県の内、外国語放送実施地域(愛知県名古屋市瀬戸市豊田市岡崎市常滑市豊橋市及び静岡県浜松市)を放送対象地域とした。他の愛知県に本社を置く放送局とは異なり、静岡県浜松市が放送対象地域に含まれていたため、愛知県内の放送局で唯一静岡県内に中継局を持つ放送局だった[1]。実際の聴取可能地域としては、岐阜県美濃地方三重県の平野部のほぼ全域までが含まれていた。

名古屋に本店を置き、製薬や光学機器などを扱う商社である興和グループの一員であり、放送機器も興和製の物を使用していた。サービスエリアはMIDLAND(ミッドランド)、パーソナリティはiJ(アイジェイ)と呼ばれていた。MegaNet系列に加盟した外国語放送局の一つで、日本語英語だけでなく、中国語タガログ語スペイン語韓国語ポルトガル語等の番組も放送していた。

開局当初よりキャッチコピーは「Feel the waves, Soothe your mind.」(波を感じ、心を癒せ)。なお、ミッドランドスクエアシネマでイメージCMを映画上映前に流しており、そこでのキャッチコピーは「ラジオのある生活、RADIO-i」だった。

開局時より赤字が続いたことから2010年9月30日24:00(翌10月1日0:00)の放送終了をもって閉局し、同年10月7日放送免許総務省に返上された[2]
資本構成

2003年3月31日時点。出典:[3]

資本金発行済株式総数株主数
9億6000万円19,200株28

株主株式数比率
興和10,834株56.42%
敷島製パン01,200株06.25%
ジャパンタイムズ01,000株05.20%
トヨタ自動車00,600株03.12%
電通00,576株03.00%
中日新聞社00,480株02.50%
UFJ銀行00,400株02.08%
名古屋鉄道00,400株02.08%
中部電力00,400株02.08%
シーキューブ00,400株02.08%
エフエム愛知00,300株01.56%
愛知県00,100株00.52%
名古屋市00,050株00.26%

歴史
RADIO-iの誕生

1999年8月10日、愛知国際放送株式会社(RADIO-i。以降同社)を設立。会社設立とほぼ同時(1999年12月)にInterFMFM COCOLOLove FMからなるMegaNetを設立する(事実上のキー局はInterFM)。

2000年4月1日6:00(JST)、5年後に愛・地球博を控えた中、地域の国際化を図る目的で興和を中心とした地元財界が出資し開局。日本の地上波民間放送局では全国190番目、うちラジオでは全国99番目、FMでは全国51番目だった。同年9月1日には豊橋と浜松に中継局が開局し、サービスエリアが構築された。
西洋式スタジオへの改良

RADIO-iには、かつて2つの放送スタジオが存在した。従来の日本式放送室を構えた第1スタジオは、アナウンサー、エンジニア、ディレクター、また、アシスタントディレクター(AD)のための個別ブースが備えてあり、アナウンス室の外でADが待機できる場が設けられているほど大規模なものだった。アナウンサーとその他のスタッフの間には、防音窓が設置され、アナウンサーとディレクターの通信には、スタジオ内インターコムが使用されていた。第2スタジオは、第1よりも小規模で、ディスクジョッキー(DJ)またはディレクターが1人で作業する造りとなっていた。ワンマンDJスタイルといわれるこの形式は、米国はもとより、ほとんどの海外小規模ラジオ放送局で活用されている。日本では、1993年に北海道のFM North Wave (FM NORTH WAVE)が同スタイルを導入。その後、多数のラジオ放送局も同スタイルを取り入れ、1997年には福岡のLOVE FM (ラブエフエム国際放送)もワンマンDJスタイルを取り込んだ。近隣のラジオ放送局に合わせ、RADIO-iもまた、同スタイルの導入を決定。かつてワンマンDJとして活躍していたRADIO-iの放送部長主導のもと、2000年2月に、経験豊かなワンマンDJの直接雇用およびオーディションを実施した。ワンマンDJスタイルは、1993年より日本国内の放送局で活用されていたスタイルであり、RADIO-i独自のものではない。

このほか愛知県豊田市三国山から電波を発信したため、受信は良好で三重県や岐阜県のかなりの部分でも聴取可能で、コミュニティFMよりもよく聴こえた。
慢性的な赤字経営、放送終了へ

地元財界の主要企業の出資を受け順風満帆な船出をしたかのように見えたRADIO-iではあったが、開局当初からラジオ離れが進む時勢であり、赤字経営が続く。2004年度には興和より電子機器販売事業を請け負い、展示会Inter BEEでは興和と連名で販売ブースを設けるなど収入改善を図ろうとしたが、業績回復には繋がらなかった。

2008年8月、経営効率化のために全株式を興和が引き受け、興和の100%子会社となる。しかし、2008年9月に起こったリーマン・ショック東海地方の経済にも直撃したことで、一層広告収入が落ち込み、親会社の興和も同社を支えきれなくなる状況に陥った[4]

そのような状況下、2010年1月1日1:00(2009年12月31日25:00) - 1月11日2:00(1月10日26:00)には、DJなしで音楽を流し続けるノンストップ放送(一部時間除く)を行い、明けて1月11日には大規模な番組改編を実施した。こうした新規リスナーおよび広告料収入獲得のテコ入れを行ったものの、2010年3月期までの累積赤字は28億8400万円に膨らみ、今後も黒字転換は見込めないとして、さらに興和グループの事業再編の関係で興和のみで同社を支えきることは困難と判断したことから、同年6月15日、(他社などへの事業譲渡は行わずに)同年9月30日をもって放送終了(放送休止、閉局)することが発表された。同社は同年10月7日、放送免許を返上し、清算手続きに入ることになる。総務省によると、「公共性の観点から免許返上の容認はしないが、最後は会社側の判断」ということで、同社の放送休止を事実上容認している。なお、放送終了を決定した放送局は、民放初期の頃の合併・統合、及び沖縄のAMラジオ局極東放送がFM局に移行し、エフエム沖縄として継続した事を除けば、テレビ・ラジオを通じて県域民放としては初の閉局となった。※かつて日本に存在した放送局も参照。

同局でニュースアナウンサーを務めた広島明子のブログによれば、「私の知っている所が9月30日に閉店」とRADIO-iを名指しこそしていないが、「閉店を知らせる張り紙をギリギリまで出さず、受け継ぎたいとせっかく手を挙げた人がいても、『遅すぎましたねぇ。』で済ませようとしています」と、他社から事業譲渡の打診があったものの断っていた事を示唆している[5]放送作家川合登志和は「事業譲渡の打診は、複数のジャンルの会社から挙がった模様」としつつ[6]、「実際に打診したのはどこなのか知っているが、28億円以上もの累積赤字を誰が負担するのかという話には至らなかった。28億円以上を負担した上に赤字のラジオ局を引き受けるという奇特な人がいるのか」と述べている[7]

最終放送日となった2010年9月30日は、7:00 - 24:00まで17時間にわたり、閉局特別番組を生放送した。23:59に最後のコールサインを告知し、閉局の挨拶を行った。日付が変わった10月1日0:00(9月30日24:00)をもって放送終了。2分後の0:02に完全停波し、10年半の歴史に幕を下ろした(詳細は後述)。
閉局後
インターネット放送で再出発

同社が閉局へと舵を切る中、2010年9月6日には、社員の一部が同局のコンセプトを継承しようと、インターネットラジオ局「RADIO iSCAPE(レディオ・アイスケープ)」を2010年10月1日より立ち上げることを発表した。名古屋市内でギャラリーやレストランを運営するパラマウントが出資し、放送部のプロデューサーが代表を務め、4人のスタッフで名古屋市西区のアパートに運営会社「有限会社エヴァ」[8] を立ち上げてスタートすることになる。放送形態については、DJなどのパーソナリティは置かず、平日10:00 - 18:00の間サイト上から配信。流れる音楽はイージーリスニングが主体になる。ゲストを招く際はスタッフが聞き役に回り、番組内に登場する。放送機器は同局からの譲渡でしのぎ、スポンサーも開局後に募ることにした。これにより、全国での視聴が可能となる。RADIO-iSCAPEは試験放送を経て、同年10月11日に本放送を開始した。なお、放送配信はUSTREAMを利用し、基本的には音声のみの放送(一部映像も含めて放送)をしている[9][10]
InterFMによる中京圏での外国語FM放送の再開「InterFM」および「Radio NEO」も参照

この愛知国際放送による外国語FM放送が終了して2年後の2012年10月、関東地区で展開するMegaNetの基幹局となるInterFM(当時の正式名称はエフエムインターウェーブ)[11] が、中京圏での外国語FM放送の再開を目指した新局開局構想を発表した[12]2013年8月6日にInterFMから放送免許申請が提出され、11月1日付をもってエフエムインターウェーブなごやとして予備免許が下りた[13]2014年3月の試験放送サービス放送を経て、4月1日午前7時にInterFM NAGOYAを正式名称[11] として開局した。さらに、InterFM NAGOYAは2015年10月1日Radio NEO」に局の名称を変更した[14]。しかし、Radio NEOも経営難を理由に2020年6月30日12:00をもって放送を終了し、RADIO-iと全く同じ末路を辿った。

なお、名古屋本局の周波数と出力はRADIO-iから事実上引き継ぐ形となるが、放送局名・コールサインと実効放射電力・送信所・演奏所・サービスエリアなどは、RADIO-iとは異なり、東山タワーを用いている(Radio NEO#放送局データ参照)。豊橋と浜松に中継局は設置されなかった。
送信所
閉局時点でのデータ


名古屋(愛知県豊田市三国山)親局・周波数 79.5 MHz、
出力5kW、ERP51kW、JOGW-FM

在名FM局の半分の出力(ERPは逆に在名FM局より強かった)ながら、標高の高い三国山山頂からの送信のため、 三重県平野部(桑名市から、津市松阪市にかけての地域)では伊勢湾を渡って受信良好で、県域局のradio CUBE FM三重と同じくらいにクリアな音質で受信できた。
ただし愛知県でも奥三河方面の東栄町豊根村、旧津具村、旧稲武町はサービスエリア外だった[15][16]

岐阜県平野部(多治見市から各務原市岐阜市羽島市大垣市などにかけて)の一部地域では県域局のRadio 80(現:FM GIFU)本局と周波数が近いため、状況によってはかなり混信するケースがあった(関東地方NACK5TOKYO FMと同様の状況と言える)。


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