愛宕山_(港区)
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愛宕山
愛宕山(中央はNHK放送博物館
標高25.69 m
所在地東京都港区愛宕一丁目5番3号
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分53秒 東経139度44分55秒 / 北緯35.66472度 東経139.74861度 / 35.66472; 139.74861座標: 北緯35度39分53秒 東経139度44分55秒 / 北緯35.66472度 東経139.74861度 / 35.66472; 139.74861
山系独立峰
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プロジェクト 山
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愛宕山より撮影した江戸のパノラマ(1865〈慶応元年〉?1866〈慶応2年〉年頃、フェリックス・ベアト撮影)。愛宕山の東一帯は愛宕ノ下と呼ばれていた。奥の広い緑地が現在の浜離宮恩賜庭園で、その右には江戸湾を臨むことができた。築地本願寺台場なども見える。明治の頃の男坂と女坂


愛宕神社 (東京都港区)と出世の石段
愛宕山の東京放送局。昭和初期NHK放送博物館歌川広重の「芝愛宕山」。1857年。正月に行われる「強飯式」と愛宕山からの眺望を描いたもの。正月飾りの橙、昆布、御幣のついたザルを被った「毘沙門の使い」が手に棍棒としゃもじを持って門をくぐるところ[1]

愛宕山(あたごやま)は、東京都港区愛宕にある丘陵である。一帯の愛宕神社境内には、三等三角点があり、25.7mの標高が記録されている。天然の山としては東京23区最高峰[2]
歴史

愛宕山は自然形成によって成立したものであると地質学的に立証されているが、周辺の低地との兼ね合いから、形成のメカニズムははっきりしていない。

江戸時代から愛宕山は信仰と、山頂からの江戸市街の景観の素晴らしさで有名な場所であった。『鉄道唱歌』の第1番にも「愛宕の山」と歌われている。

山上にある愛宕神社は、もとは1603年にこれから建設される江戸の防火のために徳川家康の命で祀られた神社であったが、「天下取りの神」、「勝利の神」としても知られ、各藩の者たちは地元へ祭神の分霊を持ち帰り各地で愛宕神社を祀った。桜田門外の変井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達も、ここで成功を祈願してから江戸城へ向かったとされる。

また、NHKの前身の一つである社団法人東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に放送局を置き、1925年大正14年)7月の本放送から1938年昭和13年)のNHK東京放送会館への移行まで、ここから発信された。

太平洋戦争敗戦直後の1945年8月17日、降伏に反対する「尊攘同志会」の会員らが山に篭城、全国に決起を呼びかけたが失敗に終わった(愛宕山事件)。同年8月22日、尊攘同志会員ら12人は集団自殺した[3]。うち10人が死亡。

1950年(昭和25年)2月1日からVHF3chでNHKテレビの試験放送電波を送信開始。1952年12月5日にサービス放送を開始。1953年2月1日に本放送が開始され、1958年12月23日までNHK東京テレビの送信所として使われた。

現在は周囲に高層ビルが林立したため、かつてのような見晴らしはなくなったが、大木などによる緑の豊かさは変わらない。歴史ある曹洞宗青松寺愛宕神社NHK放送博物館と、それらを取り囲む超高層ビル群(例えば青松寺を挟んで建つ愛宕グリーンヒルズツインタワーや、虎ノ門神谷町霞が関汐留などのビル群)が同時に存在する、現在の東京を象徴する風景を見せている。

トンネル東側の伝叟院付近に愛宕山エレベーターがあり、山頂(NHK放送博物館付近)まで楽に行くことができる。「愛宕山の愛宕塔」 愛宕山は標高26メートル。武蔵野台地末端の小丘。山上に愛宕神社があり、正面の男坂は講談、浪曲の「寛永三馬術」の舞台で知られる。明治5年(1872)、山下の海岸に鉄道が通り、「鉄道唱歌」の第一番で「愛宕の山」と歌われた。22年(1889)、旅館と西洋料理屋を兼ねた愛宕館が完成し、その隣に煉瓦造り、八角形、五階建ての愛宕塔が建てられた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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