愛媛県立松山北高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度50分57.33秒 東経132度46分5.36秒 / 北緯33.8492583度 東経132.7681556度 / 33.8492583; 132.7681556
愛媛県立松山北高等学校(えひめけんりつまつやまきたこうとうがっこう)は、愛媛県松山市文京町にある県立高等学校。 本校校舎のある地域は愛媛大学、松山大学などが集まる文教地区である。本校生徒のほぼ100%が大学・専門学校へ進学する。私立北予中学校時代の1924年(大正13年)から約6年間、日露戦争で功績を挙げた陸軍大将・秋山好古が校長を務めた。秋山は毎日、馬に乗って学校に通ったという逸話がある。 (校則は厳しく、月に一回服装と髪型についての身だしなみ検査が行われる。身だしなみ検査では、「前髪が眉毛にかかってはいけない(男女共に)」「びんの部分は耳の中央の長さ(男子)」「後ろ髪を指2本で挟んではみ出てはいけない(男子)」「スカートはちょうど膝にかかる長さでなければならない(女子)」「セーターが制服からはみ出てはいけない」「爪は長くてはならない」「靴下は白のものでなければならない」「ハイカットの靴は禁止」「眉毛を剃ってはならない」「明るい色の下着をつけてはならない」などといった厳しい基準が設けられており、検査のたびにすべての項目に対してチェックされ、髭の長さも厳しく注意される。)といった厳しい校則であったが、近日は生徒会中心に現代にあった校則を目指して校則もゆるくなっており、以前までの厳しい頭髪制限はなくなりつつある。
概要
沿革
1900年 - 私立北予中学校開校。
1923年 - 県立松山城北高等女学校開校。
1938年 - 県立に移管し、愛媛県立北予中学校となる。
1947年 - 北条町外六か村組合立風早青年学校を愛媛県立松山農業学校と改称。
1948年 - 学制改革により愛媛県立北予高等学校、愛媛県立松山城北高等学校、愛媛県立松山農業高等学校となる。
1948年 - 愛媛県立松山農業高等学校分校中島分校(現愛媛県立松山北高等学校中島分校)を設置。
1949年 - 北予高等学校、松山城北高等学校、松山農業高等学校の3校を統合し、愛媛県立松山北高等学校設立。
1953年 - 愛媛県立松山北高等学校北条分校(現愛媛県立北条高等学校)を設置。
1964年 - 北条分校が独立し、愛媛県立北条高等学校となる。
1980年 - 80周年記念館が完成。
2000年 - 創立100周年を迎える。
2010年 - 創立110周年を迎える。
2010年 - 本校でNHKのテレビドラマ『坂の上の雲』の撮影が行われる。
2011年 - 普通科の募集人数を40人減らし、1学年が400人10クラスから360人9クラスに移行する。
自転車置き場校長室の秋山好古の書と小像。この像が秋山好古生誕地にある銅像の復元モデルとなった愛媛大学から見た松山北高校
設置学科
全日制
普通科
部活動
運動部
バスケットボール
バレーボール
テニス
ソフトテニス
バドミントン
卓球
ハンドボール
柔道
剣道
弓道
陸上
水泳
ボート
野球
サッカー
ダンス
応援
文化部
美術
書道
コーラス
吹奏楽