愛ふたたび_(1971年の映画)
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愛ふたたび
Ai futatabi
監督
市川崑
脚本谷川俊太郎
製作藤本真澄
安武龍
出演者ルノー・ヴェルレー
浅丘ルリ子
音楽馬飼野俊一
撮影長谷川清
編集武田うめ
配給東宝
公開1971年5月15日
上映時間95分
製作国 日本
言語日本語
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『愛ふたたび』(あいふたたび)は、1971年5月15日に公開された市川崑監督の日本映画である[1]。併映は『「されどわれらが日々」より・別れの詩』。日比谷みゆき座ロードショー100本記念作品。

第21回ベルリン国際映画祭コンペティション部門で上映され[2]、1971年ベルリン国際映画祭金熊賞にノミネートされた[3]

市川崑はこの作品が前作より6年ぶりの監督作品であり[4]、脚本は詩人谷川俊太郎が、撮影を前年『日本一のヤクザ男』にも参加した長谷川清が担当した[4]
製作[ソースを編集]

東和の創業者だった川喜多長政が発案したとされ、当時、日本で人気があったフランス人俳優のルノー・ヴェルレーを主役にした日本映画として企画された。配給する東宝の専務取締役だった藤本真澄を通じて、藤本と旧知の仲だった市川崑が監督に起用されたが、当時、市川は劇映画の監督を休止状態で、「撮ってくれや」と藤本から頼まれ、「まあ、ボツボツやりましょうか」という気持ちで引き受けたという。映画のストーリーは完全オリジナルで作られることとなり、東和側は「来日したフランス人青年が誰かを愛をして別れる話」というシンプルなメロドラマの流れを要望したが、嘗て「メロドラマの名手」と評され、そのイメージの脱却に苦労した市川はテンプレを嫌い、東京オリンピック高校野球の記録映画で脚本に関わった谷川俊太郎に脚本を依頼し、ヴェルレーの相手役には、以前に監督した『太平洋ひとりぼっち』で印象的な役回りを演じた浅丘ルリ子を起用するといった変化球の人選を行った。話の流れも「恋に落ちる男女」ではなく、「互いに別れようと苦労する男女」というものに変更されたが、これは嘗て市川が大映に在籍していた頃に企画されながらも実現しなかった日仏合作映画『涙なきフランス人』の影響があったという[5]

映画は、ほぼ全編がロケーション撮影で、セット撮影はスキー場のホテルの室内程度でしか用いられないかった。スキーの空撮はスキー映画の専門家が撮影し、また、ヴェルレーも浅丘もスキーが全くできなかったため、代役が担当した。これらの撮影は、ヴェルレーの契約上、まず日本国内で行われてからフランスで行われた。ところが、フランスで撮影したフィルムを、現地の現像所で編集とアフレコの作業をしていた際、それを視聴した無関係のフランス人の脚本家が盗作を主張し、通報を受けたフランスの警察がネガフィルムを全て押収するというトラブルが発生した。現地で指揮を執っていた市川は、製作スタッフをフランスに残して帰国し、残されたポジフィルムで編集作業を続行するが、このトラブルは裁判沙汰にまで発展して長引き、市川側の勝訴として結審するも、映画の公開が遅れてしまう要因となってしまった[6]
あらすじ[ソースを編集]

金沢の古い薬屋の娘みや(浅丘ルリ子)は大学を出て薬剤師の資格を取得している[7]。みやはフランス留学を望み、家業を営む父(宮口精二)の意向により、同じ金沢出身でインターンである医者の卵と結婚し家を継ぐという条件でパリへ留学させて貰えることになった[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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