愛という名のもとに
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愛という名のもとに
ジャンル
テレビドラマ
脚本野島伸司
演出永山耕三
杉山登
中江功
出演者鈴木保奈美
唐沢寿明
江口洋介
洞口依子
石橋保
中島宏海
中野英雄
オープニング浜田省吾悲しみは雪のように
製作
プロデューサー大多亮
制作フジテレビ

放送
放送国・地域 日本
放送期間1992年1月9日 - 3月26日
放送時間木曜日22:00 - 22:54
放送枠木曜劇場
放送分54分
回数12
特記事項:
最終話は15分拡大。
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『愛という名のもとに』(あいというなのもとに)は、1992年平成4年)1月9日より3月26日まで毎週木曜日22:00 - 22:54に、フジテレビ系列の「木曜劇場」枠で放送されていた日本のテレビドラマ[1]。主演は鈴木保奈美

最終回は人気を受けて、また脚本の野島伸司から「もう少し書きたいので時間を延長して欲しい」との要請もあって、当時としては異例の15分拡大版で放送された[2][注 1]
内容

野島伸司脚本らしいスピーディーな展開、不倫自殺未遂強制性交未遂、仲間の自殺、今で言うパワハラ等、トラブルや不幸のオンパレードは勿論、“ダイヤルQ2” “学歴社会” “フィリピーナのジャパゆきさん” “ゴルフ場乱開発による自然破壊” “ボランティア”といった当時の世相(バブル崩壊不況)を反映した内容、そしてストレートな理想主義的台詞(例:何かというと登場する「仲間っていいな」)などが独自の世界を形成した[3]。時代はバブル崩壊期にあたり[4]博報堂入社2年目だったスージー鈴木広告業界で毎日ヘトヘト。ドラマの内容が身につまされる思いで、青春の蹉跌を表現した浜田省吾主題歌悲しみは雪のように」の歌詞が完璧に重なったと話している[4]
制作経緯

東京ラブストーリー』(1991年)、『101回目のプロポーズ』(1991年)と続けて30%の視聴率を記録したプロデューサー大多亮が「一本ぐらいここでこけてもいいだろう」「これだけの成果を出せば会社も文句を言えないはず(笑)」「次は好きなものを作ろう」等という余裕から本作を企画した[4][5]。大多は、1967年森川時久監督の映画『若者たち』を観て感動し『若者たち』と岡林信康のイメージで青春群像を発案し、野島伸司に話を持ちかけた。一方、野島は野島で1985年のアメリカ映画『セント・エルモス・ファイアー』と浜田省吾のイメージでそのアイデアを膨らませた[3][5]。この4つのイメージから本作の世界観が生まれた。大多は、「青春と友情」をテーマに、作品全体を浜田省吾の世界観でくるんだドラマを作ること決めた[4]

大多は、浜田の協力が得られないようなら、このドラマは没にする意気込みを持って[4]、主題歌交渉にあたったという[4][6]。その際に大多が希望したのは歌詞にサラリーマンの葛藤が歌われている「J.BOY」のような、新曲の制作だった。浜田がどんな曲を作って来てもそれを主題歌にするつもりでいた[4]。しかし浜田は、新曲はスケジュール的にできないが「悲しみは雪のように」だったら、ドラマのテーマに近いので使って欲しいと提案した[5][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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